沖縄のお祝い事の定番といえば、「かぎやで風」ですが、この「祝節」と「めでたい節」のワンセットもまた、祝宴の席では欠かせない曲です。「かぎやで風」のほうがたとえば結婚式の披露宴のような大々的なお祝いの席のものとすると、この「祝節」はもう少し内輪のお祝いにぴったりくるような感じがします。
御祝事続(うゆえーぐとぅちぃぢぃ)くよ サーサー 御世(みゆ)ぬ嬉(うり)しさやよ サーサー
ユワヰヌ サースリ ユバナウレ
寄(ゆ)ゆる歳(とぅしぃ)までぃん サーサー 若くなゆさよ サーサー
ユワヰヌ サースリ ユバナウレ
若松(わかまちぃ)ぬ緑(みどぅり)よ サーサー 床(とぅくぅ)ぬ間(めぇ)に飾てぃよ サーサー
ユワヰヌ サースリ ユバナウレ
枝(ゆだ)見りば銀(なんじゃ)よ サーサー 芯や黄金(くがに)よ サーサー
ユワヰヌ サースリ ユバナウレ
白毛御年寄(しらぎぃうとぅすい)やよ サーサー 床ぬ間ぬ御座(んざ)によ サーサー
ユワヰヌ サースリ ユバナウレ
生子(なしぐゎ−)唄しみてよ サーサー 孫舞方(んまがめぇかた)よ サーサー
ユワヰヌ サースリ ユバナウレ
意味:
お祝い事の続く、この世のうれしさに、寄る年波も若返る気持ちがするよ。
緑の若松の枝を床の間に飾って、その枝ぶりの見事さは金銀の細工物のよう。
白髪のお年寄りは床の間の前に座り、その子が唄い、それにあわせて孫が舞う。
昔から家族を大切にし、今でも出生率は日本国内ダントツの沖縄ですから、やはり親・子・孫三代そろった祝いの席というのは、もう理想的な環境なわけです。そんな情景をうたったこの唄は、結婚、出産、生年(まりどし)祝い、トーカチ(88歳のお祝い)、カジマヤー(97歳のお祝い)といった人生の節目節目で、沖縄の人たちの心を豊かにさせてきたに違いありません。
この唄はもともと、石垣島の舟越(ふなくやー)というところでできた唄です。
昔、石垣島を中心とする八重山地方では、人口の増えてきた村から強制的に何人かを未開拓地に移住させ、新しい村を作って農産物(ひいては年貢)の増産をはかる、ということが行われていました。しかし、ある日突然、住み慣れた村から引っぱり出され、まるでジャングルみたいな森を切り開いて家を建てたり田畑を作ったりしなければならない村人こそいい迷惑。
みんなは「ユンタ」とか「ジラバ」と呼ばれる八重山地方の労働歌をうたいながら、力をあわせて土方仕事をしました。この唄も、そんな中から生まれてきたものなのでしょう。
伊原間(いばるま)ゆたてぃだす 舟越(ふなくや)ゆたぃてだす スリユワイヌ サースリ ユバナウレ
誰(た)るぬ主ぬたぃてだね 何(ぢ)りぬ親(やー)ぬたてぃだね スリユワイヌ サースリ ユバナウレ
うんぬ主ぬたてぃだす みつぃんびらまーぬたてぃだす スリユワイヌ サースリ ユバナウレ
意味:
伊原間と舟越に新しく村建てしたのは、どこのお役人でしょうか。
お役人のミチン殿のご命令です。
当のお役人には、新しい村の建設の業績をたたえる唄にも聞こえたでしょうし、実際、新たな生活の場所となるその土地を祝福する意味もあったでしょうが、本当のところは、やっぱり、
「ったく誰だよ〜、こんなところに村なんか作ろうって言ったのは……」
という気持ちの表れだったんじゃないかなー、と思ったりして。
[参考]
嘉手苅林昌・山里勇吉「うたあわせ」CDライナーノート