三線 武富節(たきどぅんぶし)

(三線をクリックしてみてください。メロディが聞こえてくるかも……)
次に紹介するのは「武富節」。この名前は知らなくても、「貫花(ぬちばな)の踊りに使われている……」といえば、沖縄の人なら「あ、あれね」という、わりとポピュラーな曲です。

でぃちゃよ押(う)し連(ち)りぃてぃ あたい花むゐが
花や露かみてぃ むゐやならん
エイヤーヨーヌ ヒヤルガヒー

白瀬走川(しらしはいかわ)に 流りゆる桜
すくてぃ思里(うみさとぅ)に 貫(ぬ)ちゃいはきぃら
エイヤーヨーヌ ヒヤルガヒー

赤糸貫花(あかちゅぬちばな)や 里にうちはきぃてぃ
白糸貫花(しるちゅぬちばな)や ゆ得(い)り童(わらび)
エイヤーヨーヌ ヒヤルガヒー

さあ一緒に花を摘みに行きましょう。
でも花が露をいただいて美しくて、なかなか摘むことができないよ。


白瀬川に流れる桜をすくって、
それを糸でつないで、わたしの愛しい人の首にかけてあげたい。


赤いきれいな糸で作った花飾りはあの人にかけてあげて、
白い糸で作った花飾りは、子どもたちにあげてしまおう。



貫花というのは、ハワイのレイのように花に糸を通してつないだものです。踊りの場合は、琉球絣の着物姿の女性が、赤と白の花を交互につないだ花飾り(輪にはなっていない)を首にかけて踊ります。

実はこの唄も、八重山から伝わった唄なのです。題名を見れば見当がつく方もいると思いますが、石垣島のそばにある「安里屋ユンタ」のふるさと、竹富島が発祥の地。この島に生まれ、西表島の仲間という村に移住した男性、マザカイのことを唄った「まざかい節」が元唄です。

(ま)りや竹富(たきどぅん) 育(すだ)つぃや仲間ぬ まざかい
ウヤキユヌ ユバナウレ

なゆぬ故(ゆん) 如何(いきゃ)ぬついにやんどぅ 仲間越(く)いだ
ウヤキユヌ ユバナウレ

大浦田(うふぅらだ)ぬ みなぐつぃぬ ゆやんどぅ
ウヤキユヌ ユバナウレ

餅米(むちぐみ)ぬ 白米(しらぐみ)ぬ ゆやんどぅ
ウヤキユヌ ユバナウレ

竹富に生まれ仲間に育ったマザカイは、


どうして仲間に引っ越したのか


そこにはよい田んぼと、よい船着き場があるからだ。


そこでできる餅米や白米のためなのだ


このあと、「竹富島の上に白雲が立ったら、愛しい女性だと思って下さい、西表島の上に三日月が登ったら、それはマザカイだと思ってください」という、故郷の竹富に残してきた恋人とのやりとりが続きます。

竹富島は、今でこそ石垣島から海底に敷いた水道管を通して送られてくる水がありますが、昔は島に数ヶ所ある井戸だけが水源でした。人が生活するのはともかく、水を大量に必要とする米などとても作れません。そのため、この唄のマザカイのように水の豊富な西表島に移住したり、あるいは島の西桟橋から船に乗って米を作りに行ったりしていました。これは島の歴史で言えば「ついこのあいだまで」続いていたことで、竹富島の年配の人の中には、船で西表島に通った経験者が何人もいます。

この唄も沖縄本島に「輸入」されると、歌詞や唄い方が変わっていきました。身の回りにふんだんに「カー」と呼ばれる井戸(泉)がある那覇や首里の人たちにとっては、米を作りにわざわざよその島に行かなければならない暮らし、というのは想像つかないし、実感もわかなかったことでしょう。「生活かかった悲しい恋の唄」が「優雅な花と恋の唄」に変わってしまったのも、無理もないことかもしれません。

[参考]
「声楽譜付 八重山古典民謡工工四 上巻」大濱安伴著
「わかりやすい歌三線の世界」勝連繁雄著 ゆい出版
「沖縄文化論−忘れられた日本」岡本太郎著 中公文庫
嘉手苅林昌・山里勇吉「うたあわせ」CDライナーノート


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