沖縄癒し旅 (2004.2.24 - 27)



旅行記を書くのは久しぶりです。最後に書いた「2001年沖縄の旅」以降も、何度か沖縄に行ってはいます。が、ちょっとプライベートな用件もからんできて、純粋な「一観光客の旅行記」とならなくなってきたのも事実……まあこれは、沖縄とのかかわりが深くなってきたため、仕方ない部分でもありますが。

一年半ぶりの沖縄への旅は、「そうだ、沖縄行こう」というノリで実に唐突に決まりました。

実は「2001年沖縄の旅」の当時勤めていた「沖縄関係ベンチャー零細企業」が、ありがちな経営不振でコケてしまい、「無一文で放り出される」ような形で派遣社員に舞い戻ったのが昨年のはじめ。一年間死にものぐるいで働いて、ようやく余裕ができたところでいったん仕事を辞め、再び新たな派遣先に向かって「人生をリセット」することになりました。

どうもわたしは「平穏無事な人生」は送れない運命らしく、この一年は収穫も多かったけれどかなり心身にガタがきました。こういう時は、やっぱり沖縄に限る。たまたま沖縄ツーリストの「美ら島ひとり旅」という格安ツアープランを見つけ、あろうことか数日後、「目が覚めたら窓の外は青い海」という夢を見てしまいました。これはもう、島がわたしを呼んでいるのだ! と確信し、即予約。
ツアーは往復の飛行機代+那覇のホテル一泊なので、それにいつもの那覇の常宿、コバルト荘での二泊を足して三泊四日の旅となりました。


2月24日(火)晴れときどき曇り

今回の旅のいでたちは、最近はやりのキャスター付き「ピギーバッグ」に三線ショルダーケース。東京と那覇の温度差対策には、半袖Tシャツ+長袖シャツ+フリースジャケット+マウンテンパーカという重ね着対策でのぞみました。
そろそろラッシュのピークを過ぎた地下鉄に乗り、京成電鉄に乗り継いで羽田へ。空港ロビーでまずフリースジャケットを脱ぎ、腰に巻き付けます。チェックインカウンターでバッグを預けてしまい、三線ケースだけ背負って搭乗ラウンジへ。売店でおにぎりを買ってちょっと早めのお昼ごはん。

飛行機は11:50出発でしたがちょっと遅れ、那覇に着いたのは15時少し前。
さっそく今夜迎撃オフを開いてくれる沖通団のざ〜かいさんに電話したところ、「めんそーれ」と言われて思わず笑ってしまいました。そうかぁ。沖縄なんだよなぁ。うふふ。なんだか嬉しくなってきたぞぉ。
預けたバッグを受け取り、まず腰に巻いていたフリースジャケットをたたんでバッグに詰め込みます。到着ロビーから出て、まず向かったのが「ゆいレール」の駅。昨年ようやく開通したモノレールにも、やっと乗れます。けっこう楽しみにしてたんですよ。
ゆいレール運転席。
このときの運転手は、ちょっとかわいいネーネーでした。
2両編成のモノレールのいちばん前、運転席のすぐ後ろに座って見た空港から那覇の市街地までの景色は、今までとルートも角度も違うせいか、ずいぶん違った印象があります。「那覇って、こんなに都会だったのね〜」
実は今回、旅行前の情報集めではじめて知ったのですが、ゆいレールの路線って、北斗七星の形(逆向きだけど)をしているんだそうです。風水まで考えてのことならスゴイけど、まさかそこまでは……荒俣宏のコメントが聞いてみたい(笑)。

でも、地元の人だけでなく観光客も含め、こうして今までとは違った人の流れができたことと、そこを利用する人たちに「今までとは違う視点」が提供されたことは、すぐにではなくとも時間の経過と共に、なんらかの変化をもたらすことは確実だと思います。そういう意味では、目先の利用客の増減で一喜一憂するだけでなく、もっと長いスパンで考えることがいっぱいあるんではないかな。

県庁前駅で下車し、コバルト荘まで歩きました。角を曲がると、ぱっと鮮やかなピンクの桜。うわぁ、きれいだ。
沖縄の桜。
いつもなら2月中旬がピークなのだけど、今年は開花が遅かった。
わたしを待っててくれたのかも(爆)。
コバルト荘ではお父さんとお母さんが迎えてくれました。宿帳に名前を書いて、冷たいお茶をいただき、テーブルに置いてある黒糖をいただきます。県庁前駅からコバルト荘はちょっと距離があったので、疲れた身体に甘い黒糖がとてもおいしい。つい2個3個と手が出てしまう〜。

前回この宿に泊まったのは、おととしの夏。琉球新報社で毎年開かれている琉球古典芸能コンクールの三線・新人賞部門を受験しに来たのです。当然その時の話も出ます。
「そうそう、あなた受験票取りに戻ってきたのよね〜(笑)」
きゃーしっかり覚えられてる(汗)。

コンクール受験は大イベント。何ヶ月も前から稽古を重ね、真夏の飛行機代がいちばん高い時期に受験料プラス宿代プラス飛行機代という大金を払って、那覇までわざわざ受験しに来るのですから……おまけに受験の服装は「正装」。男は黒紋付きに袴、女は黒留袖で、舞台のまん中にひとり座って、人間国宝を含む審査員の先生方がずらりと並んだ前できっちり演奏しなければなりません。
その日朝早く起きたわたしは、宿の近くの美容院で着付けをしてもらって、会場にたどりついた所で受験票を忘れてきたことに気付き、タクシーとばして宿までとんぼ返りしたところをコバルト荘のお母さんにしっかり見られてしまったのです。ああこれでわたしも「コンクール伝説」のひとつとして語り継がれてしまうのだなぁ……(滝汗)。

幸いにも、受験結果は「合格」でした。でも、新人賞を合格して3年たつと、優秀賞の受検資格ができます。うちの師匠は当然わたしが受験するものと思ってるようだし……あの悪夢がもう一度かぁ。ひぇぇぇ。

エネルギー補給をすませ、荷物を部屋に入れて、三線ケースだけ背負って再び街へ。ひさびさの国際通り探検です。
まず「沖縄ツーリスト」で26日のホエールウォッチングの予約をしました。
あいかわらずお店の栄枯盛衰が激しい国際通り。一年半もご無沙汰していたので、まただいぶお店が入れ替わっています。驚いたのは三線店が増えたこと。実演販売やってるところもあるし……
つまり三線も、大事な「観光資源」になってるわけですね。なるほど。

通りをぶらぶら歩いて、まず入ったのが「国際通り三線店」。ここの店長牧野さんは「沖縄移住」する前からの知り合いです。しばらくゆんたくした後。散策再開。今度は国際通りの終点、安里三叉路を右折して「仲嶺三線店」へ。ここで最近音が不安定になった三線の中弦のカラクイ(糸巻き)を見てもらいました。ちょっとカラクイの根元を削ってもらい、弦を巻き直してもらったら、びたりと具合がよくなりました。さすが。

まん中が弦を巻き直してもらったカラクイ。
上下のカラクイに比べると、弦がきっちりキレイに巻かれている。
やはり「プロの手際」は美しいなぁ。
宿に戻って、シャワーを浴びて着替えして、再び夜の街へ。今夜は沖通団の迎撃オフ。昨年沖縄移住、じゃなかった、沖縄に戻ったメンバーのちばんちゅうさん(千葉県在住だったことがハンドルネームの由来とか)がゆいレールの県庁前駅まで迎えに来てくれました。さっそく車に乗り込むと、車内に流れるBGMはエイサーでした(笑)。ところでこのエイサー、初めて聴いたような気がするんだけど……いったいどこの?
「あ、これ、うちのシマの……」
ちばんちゅうさんの住んでる石川市のエイサーの録音だったのでした。

車は58号線に乗って那覇を抜け、浦添を通過し、宜野湾へ。そこのお店が今夜のオフ会場です。

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