三線コンクール受験記1(2005.8.20 - 23)




沖縄の踊りや三線をやっているとよく話題になるのが「コンクール」というイベント。だいたい年に一度実施される、技能検定試験のようなものだ。流派によってそれぞれ独自に実施されているようだが、わたしの所属する野村流音楽協会では、琉球新報社の主催で舞踊・筝・太鼓・笛・胡弓などと共におこなわれる。
三年前、わたしはこのコンクールの新人部門を受験した。その時は終わった後名古屋から飛んできた甥っ子と合流し、コザでパーっと遊んで翌日渡嘉敷島に渡り、青い海を満喫して帰る、というスケジュールだったのだが……
早いもので、あれから三年。優秀部門受験のはこびとなった。

いや今回も終わったらパーっと遊んで帰るつもりだったんですよ。でも、会社に休暇届け出して、飛行機も宿も手配しちゃった後で試験日が21日から22日に訂正されるなんて……
琉球新報さん、あんまりだ(涙)。


8月20日(金)晴れときどき曇り

くされT(笑) 夏の沖縄旅行のとりえは、本土との間にほとんど温度差がないこと。今回は「南西ブログ」のサニーさんデザインのTシャツに冷房対策用のパーカーを羽織っていくことにした。持ち物はショルダーバッグを斜めがけにして、キャスター付きのピギーバックに、ショルダーストラップをつけた三線のハードケース。あー、どうしていつもこう大荷物になっちゃうんだろう。

空港に着いて、地下のVie de Franceでアイスコーヒーとパンで軽くランチをすませ、団体受付カウンターで搭乗券を受けとって、カウンターで荷物を預ける。三線をハードケースで持ち歩くのは久しぶりなので、「あの、これは機内持込にしたいんですけど……」と言ったら、「楽器ですか? どうぞどうぞ」という返事。ハードケースは重たいしかさばるしイヤなのだが、今回ばかりは優秀部門受験のために気合を入れて買った「じょーとー三線」持参だから仕方がない。
Yahooのネットカフェで最後のメールチェックと掲示板巡回をすませ(今回は向こうでネットに接続している余裕がないのでリブレット不携帯)、時間の余裕をみて搭乗待合室に入る。

「あれ、宮森せんせー」

うちの師匠、小那覇先生の盟友宮森先生が、わたしと同じく優秀部門を受験するT氏と一緒にいた。今回うちの師匠は同行しないが、宮森先生は門下生が4人ほどわたしと同じ日に受験するので向こうで会えるはず、とは思っていたけど、往きの飛行機も一緒なんだ〜。よくよく調べてみたら、宮森先生は「じゃらん」で、わたしはインターネットで激安沖縄フリーツアーを探したのだけど、結局どちらも同じ旅行代理店のツアーに行き当たったらしい。泊まるホテルは違っていたけれど、往復の飛行機はまったく同じ便だということが判明。
那覇空港に着いたら、同じ野村流音楽協会関東支部会員で、昨年優秀賞を受けたKさんというおじさま(現在沖縄長期滞在中)が迎えに来ていて、わたしもついでにホテルまで運んでいただけた。ラッキー。

おまけに今夜、みんなで国際通り三線店の牧野店長と一緒に呑むという……えーっ、牧野さんなら知り合い、それどころか、わたし牧野さんの店で三線買ったんだからぁ……というわけで、今宵の宴にわたしも参加させてもらうこととなった。

今回もこれをはじめとして、いろいろなところで「沖縄コネクション」を体験することになった。それはまた後ほど。

ホテルでシャワーをあびてさっぱりして、「シマウタ37.6度」のKUWAさんデザインの三線Tシャツに着替えて国際通りへ。那覇に来ると、やっぱりここをひととおり歩かないと気がすまない。残念ながら今日は時間がないので、まっすぐ「マンゴーハウス」に直行し、前々からホームページを見て気になっていたパッチワーク柄かりゆしウェアを購入。今回はTシャツは買わなかったけど、着るものはやっぱり買っちゃうのです。
店を出てすぐタクシーを拾って、待ち合わせ場所である県立博物館前へ。タクシーが坂をのぼりきると、そこには思いがけない光景が展開していた。

首里城ライトアップ ライトアップされた夜の首里城。
デジカメじゃうまく撮れない。残念。

龍潭池の向こうに、まるで竜宮城のように浮かび上がる首里城。池のほとりにもあちこちに灯りがともされ、それが水面に反射していっそう幻想度を増している。おもわず見とれていたら、

「お客さん、ここでいいんですかぁ?」

とタクシー運転手の声。危うく目的地を通過するところでした。あぶないあぶない。

今夜の宴の場所は、そこから程近い隠れ家ダイニング「富久屋」。最初駐車場に入って行ったときは、いったいどこに連れてかれるのかしらん、と思ったけど、その奥にひっそりと建つお店は、なんだかとてもいごこちのいい雰囲気。料理もそんなに高くなく、美味しいのです。いいとこ教えてもらいました。

ナーシビータシヤーと島ラッキョウ。
おいしかった〜
なーしびーたしやー


「富久屋」を出た後、みんなと別れてタクシーで久茂地に戻り、鎌倉で沖縄料理&島酒Bar「花いちぜん」というお店を出している前野さんが那覇に出した2号店「BakuSan」に行った。「花いちぜん」は前から気になっていたお店なのだけど、最近は鎌倉に足をのばす機会がなかなかなくて……
なぜか那覇なら行けてしまうところが不思議(笑)。

お店はこじんまりとしていい雰囲気。前野さんとはmixiを通じてメッセージのやり取りをしていたけれど、会うのは初めて。なぜかもっと年配で恰幅のいい人を勝手に想像していたのだけど……イメージにはなんの根拠もないです。ゴメンナサイ、前野さん(笑)。

コンクール受験の話は前にしていたので、ちょうど他にお客さんもいなかったし、ちょっと唄ってみませんか、と前野さんに言われてライブステージへ。三年前の新人賞受験の時も小那覇先生に連れられて行った国際通りの居酒屋「じんじん」で、先生にいきなり「はい、唄ってみなさい」と言われて「稲まづん」をうたうはめになったのだけど、まさか夜中にライブステージで「作田節」と「子持節」をうたう事になろうとは……(大汗)。

幸い、唄が終わってから数人のお客さんが入ってきた。最初のグループのひとりがわたしの顔を見るなり、
「あ、このまえ銀座『泡盛』の新良幸人ライブでお会いしましたよねー」

……(^^;

おまけに、となりに座った人(ルポライターWさん)とも話をするうちに、わたしがよく行っている高幡不動のお店「タイニードラゴン」の近くの住人で、そちらのライブにも顔を出しているということが判明……じゃ、当然ニアミスしてるやん……恐るべし沖縄コネクション。これだから悪いことはできません(爆)。

そのうち、前野さんの知り合いで、やはり那覇に移住してイタリアンのお店やってるという人が来た。その人のお店に、いったん無人島となった慶良間諸島の前島に里帰り移住した人が来たんだよね、という話が始まる。
その人の話はNHKのドキュメントでやっていたのでわたしもよく覚えていた。イタリアン店主の話によれば、このおじさん(かなりの年配ではあるが、沖縄的基準からするとオジィと呼ぶにはまだ早い)がまた島のサバイバル・ライフにぴったりという感じのワイルドな人らしい。おじさんと島で野生化した山羊との攻防戦がまたおかしくて、わたしは思わず隣のWさんを、「取材したらきっと面白い記事書けますよ〜」とけしかけてしまった。

そんなこんなで、気付いたらもう3時過ぎ。いったい那覇になにしに来たんだか忘れそうになった一夜だった。


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