沖縄レンタカー旅行記1(1998.9.21 - 9.24)




今年はわたしにとって画期的な年でした。なんと、一年に二度も沖縄へ飛んだのです!
もともとは、こちらの「9月の沖縄旅行」のほうが去年から計画していた旅でした。日頃からコンピュータ相手に神経をすり減らす毎日を送っている気の毒な弟に、青い海、青い空、真っ白なビーチで風に吹かれながらビールをいっぱいやる楽しみを教えてあげようという、暖かい姉心から……(嘘つけっ! というツッコミが来た……以下、茶色の文字は弟のツッコミだと思ってください)

ま、早い話、沖縄にはまるきっかけを作った瀬底島のビーチにもう一度行きたい→そのためには車があると好都合→わたしは免許を持っていないから専属運転手が必要、というところから、弟に白羽の矢が立ったというわけでありますが(笑)。

ともかく、「考えてみたら、ふたりで旅したなんて初めてだよな」というわたしと弟の凸凹道中記、最後までお楽しみ下さい。

9月21日(月)晴れ時々曇り所によってにわか雨


台風6、7、8号が三つどもえとなって襲来し、気象予報士も「3つもあると相互に影響し合って、正直言って進路がどうなるかわかりません」とサジを投げる中、JAL901便那覇行きは、少々遅れはしたものの、無事に飛び立ちました。

那覇空港に着くと、ロビーには先に名古屋から到着していた弟と、沖縄タイムスのT記者が待ち受けていました。実はその一週間前、タイムスから電話がかかってきて、「波照間島記」の記事を新聞に掲載したいとの申し入れがありました。わたしはもちろん喜んで取材を受け、次の月曜に那覇に行くことを伝えると、写真を撮りたいと言われたので、空港ロビーで待ち合わせをしたのです。挨拶もそこそこに、さっそく写真を撮りましょうということで、ロビーの外に出ました。

「うわっち!」

暑い。こりゃ暑い。東京じゃすでに秋だというのに、なんだこの暑気は。やっぱり沖縄、半端じゃないぞ。

写真撮影を済ませてT記者と別れ、とりあえずタクシーに乗って市内へ。タクシーを待つ間、突如弟が、
「ねーさん、今日の飛行機の窓から、島と島の間に長い橋みたいなのが見えたんだけどさ〜」
と言い出しました。

さすが、です。「走り屋」は、車を走らせてみたい道路を、空の上からでもめざとく発見する本能があるらしい。与勝半島から平安座島へと伸びる全長5キロのその道は、確かに最高のドライブコース。
 弟のツッコミ→私は決して走り屋ではない。ドライビング愛好家と言ってほしい。

「あれねー、橋じゃなくって海中道路なんだけどさ……走ってみたいんでしょ」
「うん!」

というわけで、最終日の旅程に海中道路ドライブが組み込まれることとなりました。

今日の宿、ホテルニューおきなわに荷物をあずけ、とりあえずお茶しよう、ということで、国際通りを横切って、「琉球珈琲館」 へ。ここの水出しコーヒー「甕珈琲」がわたしのお目当て。泡盛を寝かせて古酒を作る大甕を使って作ると聞いただけで、なんだかわくわくしてしまいます。
その上澄みをすくった「トロ」というコーヒーは、前に来た時も飲んだけど、名前から連想される脂っこさはなく、口当たりよくマイルド。

ところが今回「琉球珈琲館」に来てみると、新製品が出ていたのです。路上の看板には「ぶくぶく珈琲」なる文字が。

「飲んでみたい、うー、……でも甕珈琲も飲みたいし」

ということで、夕食後また来ることに決めました。

弟は沖縄初心者なので、まず一番インパクトのある場所、公設市場に連れていくことにしました。実はわたしも公設市場の建物の中に足を踏み入れるのは初めて。今回はここの2階でお昼を食べるという目的があるので、遠慮なく中に入って、それぞれの店を見て歩きます。
外の商店街では「大須と似てる」なんて余裕の発言だった弟も、さすがに中に入ってイラブチャーやグルクンなど、極彩色トロピカル・カラーの魚や、でかいシャコ貝や、ありとあらゆる部分の豚肉の大群には圧倒されたか「ひぇー」の一言とともに沈黙。

中でも大受けしたのが「チラガーの薫製真空パック」。豚の顔の部分の皮を、原型をとどめたままそっくり薫製にしたもので、まるで茶色い豚のお面。「お土産に買っていったら〜?」と言ったら、
「確かに受けはとれるけどなぁ、うーん」と弟は悩んでいました。(結局買わなかった)
お昼は2階の「道頓堀」で、弟はソーキそば、わたしはイカスミ汁を食べました。弟のやつ、いきなりオリオンビールを注文して、昼からくつろぎモードに突入。こらこらっ。

食べ終わってお勘定を頼んだら、店のおばちゃん、いきなり大型電卓を持ってきて、「えっと、なにとなに食べたっけ?」と、わたしと弟の申告を聞いてバシバシと豪快に計算を始め、「はい、これだけ」と計算結果の出た電卓を置いて他の客の注文を聞きに行ってしまいました。
 わたしはそんなこともありかな、と思うけど、弟は目が点になっています。早くもウチナーのテーゲー・パワーに当てられた様子。

君ぃ、驚くのはまだまだだぜ。

昼食後、わたしは国際通りのつきあたり、安里三叉路を右に少し行った「仲嶺三線店」にでかけました。実は、わたしの三線を作ったのはそこのおじさんだそうなのです。那覇に行ったらそこで消耗品を買い込み、ついでに、ちょっと調子のよくない所を調整してもらおうと、今回はわざわざ三線持参でやってきています。弟も物見高くついてきました。

店は通りに面した所にあって、すぐにわかりました。ガラス戸を開けるのにてこずっていると、おばさんが中から開けてくれました。店を入ってすぐのところに作業場があり、三線の胴に張る蛇皮が積み上げてあります。

職人気質で気難しそうなおじさんと、愛想のよいおばさんという絶妙のコンビ。おじさんはさっそく三線の調整をはじめたので、もっぱらおばさんと話をしました。店を紹介してくれた人も、わたしが三線を習っている先生も、この店のお得意さんなので、それぞれの消息に話がはずみましたが、そのうちなんだか外が騒がしくなってきました。なんと、「右翼の街宣車」です。

沖縄の那覇という場所にそういうものが存在するということ自体ショックだけれど、それ以上にわからないのが、そういった主義主張を背負った人たちが、沖縄の日常とどう折り合いをつけてこの地で生活しているのだろうということ。

おじさんもおばさんもうるさいな、という様子は見せるけれど、それ以上の感想をもらすわけでもなく、東京の下町にいるのとなんら変わりません。
しかしわたしのほうはなんともいたたまれない思いで、車が通り過ぎてしまうまで、沖縄で最も居心地の悪い時間をすごしました。

ジャッキーステーキハウス 台風の直撃はまぬがれたものの、吹き返しの風は強く、妙に蒸し暑い。
お目当ての水中観光船マリンスターも欠航してしまったので、国際通りを見物した後、早めの夕食を取ることにしました。
那覇に来たからには、一度はステーキ。わたしたちは老舗「ジャッキーステーキハウス」へ。
しかしこの店、外からは全然店内が見えない。ペンキ塗りのドアを開けて中に入るのは、少し勇気がいりました。


ステーキ自体はたぶん他にもおいしくて安い店がいくつもあるだろうし、スープは給食のクリームシチューみたいな味でいまいちだけど、ここの内装は3〜40年前から変わってないんじゃないかという感じで面白い。
わたしの席の左側の壁には、アメリカ統治時代の営業許可証「Aサイン」が飾ってありました。

夕食後、ふたたび「琉球珈琲館」へ。さっきふつうのアイスコーヒーを飲んだ弟は「甕珈琲」を、わたしは例の「ぶくぶく珈琲」を注文します。

沖縄には煎った米で煮出した湯でお茶をいれ、それを泡立てていただく伝統の「ぶくぶく茶」というものがありますが、「ぷくぶく珈琲」はそれにヒントを得て開発された(?)もののようです。素焼きのビールジョッキのような器に、こんもりとクリーミーな泡の盛り上がったコーヒーがやってきました。自然な甘みが感じられて、なかなかいける味です。

コーヒーで一服したあと、わたしたちはすぐ隣の「ヘリオス地ビールパブ」へ移動。沖縄第一日目の夜がこうして更けていったのであります。
地ビールおためし3点セット

地ビールおためし3点セット


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