八重山再上陸作戦(2011.8.11 - 19)
8月14日(日)
今日は波照間島の最終日。昼の船でいったん石垣島に戻るので、観光できるのは午前中だけ。
荷物をまとめておいて、自転車でまず島の南側にある「ペムチ浜」をめざします。
ペムチ浜は島の最南端近くにあるビーチ。流れが速く遊泳禁止だし、島の北側と違って、見えるのはひたすら空と海だけなので、訪れる人はあまり多くありません。
ロード・トゥ・ペムチ浜
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ペムチ浜を望む
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このまま突っ込んでいったら海に飛び込んじゃうのでは、と思うような一本道をひたすら下っていくと、ペムチ浜横の磯に出ました。
島を一周する道路まで戻って、ペムチ浜に直接出る道を探してもよかったんだけど、曇り空に荒波……とどうにもテンション上がらない風景だったので、写真だけ撮って撤収。
いったん宿に戻ってから、今度はニシ浜へ。やっぱり波照間といったらここ。
今日はそのニシ浜をずーっと歩いて、一番西端にある浜崎を回りこむ。そこから先は今度はぺー浜。ニシ浜にはけっこう人がいますが、ここまで足をのばす人は少ない。
あたりを見回して人がいないことを確かめると、ここで「浜カンフー」決行! (笑)
いや某カンフー映画で浜辺の演武シーンを見て以来、一度やってみたかったのよね。
室内でやるとどうしてもスペースが足りなくなって、いったん中断してポジションを移動しないと後の動作が続かなかったりするんだけど、浜辺だったらスペース制限なし。一連の動作をノンストップでやれるわけです。その代わり途中で休めないのでかなりしんどい。「小洪拳」コンプリートした後は完全に息あがってました(笑)。
お天気も少しよくなってきたので、ここで記念撮影を決行。
浜の流木にカメラを設置、タイマーをセットして、浜にダッシュ!
そうこうしているうちに船の出る時間となりました。
チーム照島荘のお見送りを受けて、「ぱいぱてぃろーま」で石垣へ。ターミナルで船を乗り換え、今度は竹富島をめざします。
さらば波照間
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びっくりするほど立派なターミナルができた竹富島
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竹富島では以前お世話になった「松竹荘」へ。
最後に泊まったのがたぶん1999年暮れから2000年へのミレニアム年越しツアーの時で、その後も一度立ち寄って美智江おばさんとお茶した記憶があるけど、訪れるのはほぼ10年ぶり。その間も泊まりに行った友人からいろいろ聞いているので、そんなにご無沙汰した印象はないのですが、やはり10年ぶりともなるといろいろ変わっています。
昔畳敷きだった食堂はテーブル席となり、松竹荘から少し歩いたところにもうひとつ宿泊棟ができました。宿を切り盛りしているのは美智江おばさんの娘さん。去年ちょっと病気で入院した、というおばさんはお客さんや近所の人とのんびりゆんたくしたり、体力づくりのために島のあちこちを散歩したり。
海に出ることが少なくなったらしい昇助おじさんはその分手仕事に精を出しているようで、その作品のいくつかは宿にも飾られ、おみやげ品として買い求めることもできます。
でも宿を流れるゆったりした時間はぜんぜん変わらず、母屋の裏、前からある別棟との間の中庭では、常連さんが星空を見ながら泡盛飲んでたりする。わたしももちろん仲間に入れてもらいました。
♪白いサンゴの一本道は〜
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屋根シーサー
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懐かしの松竹荘入り口
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中は変わってません
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松竹荘アネックスへの道。ここの風景が一番キレイ
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ブーゲンビリアの花
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その日は「喜宝院のところでアンガマがあるよ」と聞いて、夜になって出かけて見ました。
場所は喜宝院の隣の家。母屋は開け放され、前の庭にはビニールシートが敷かれ、ライトアップもされて準備万端。母屋の仏壇の前には三線や太鼓や笛の地方さんがスタンバイ。
島民も観光客も庭の見物席に迎え入れられ、泡盛が振舞われる中、やがて演奏が始まり、母屋の前に踊り手さんたちが現れます。
竹富島のアンガマはソーロン(精霊)とも呼ばれています。石垣島のものと違って、ウシュマイ・ンミーのお面をつけたコンビは出てきません。
そのかわりに男も女も同じような黒っぽい着物を着て、タオルで覆面し、笠をかぶって、誰が誰ともわからない扮装です。
次々にいろんな踊りがおどられましたが、ご先祖様に見せる踊りですから、わたしたちに背を向けて踊ります。
最後にはエイサー隊まで出現。エイサーはもともと沖縄本島のものですから、新しく取り入れられたものでしょう。これは竹富島出身のミュージシャン「日出克」の「ミルクムナリ」をバックに踊られました。
赤瓦の屋根を見上げると、その横には大きな満月……そう、今日は旧暦の7月15日、当然十五夜の月です。
昔は電燈なんてなかったから、こういった踊りは、満月の光だけに照らされていたのでしょう。それはそれで幻想的な、この世ともあの世ともつかないような光景だったに違いありません。
この日は松竹荘でも、母屋の二番座にみんなが集まって、ご先祖を送り出す「ウークイ」を行っていました。