沖縄ミレニアム旅行記
〜三線抱えてひとり旅〜
(1999.12.28 - 2000.1.4)

「かりゆしおきなわ」船室

1900年代もいよいよ終わり。2000年の朝は、さて、どこで迎えようか……ということになって、わたしは、「やはりミレニアムは沖縄だ!」と決意しました。

ことの起こりはゴールデンウィークの旅行。多良間島・水納島を回った後、わたしは石垣島に移動し、波照間島を日帰りで訪問した後竹富島に渡りました。沖縄ファンクラブの八重山ツアー以来すっかりファンになってしまった民宿「松竹荘」に泊まるためです。ところが行きたい所、行かなくちゃいけない所(!)がいっぱいありすぎて、結局竹富島には一泊しかできなかったのです。わたしはついつい「お正月にまた来ます〜」と言ってしまったのでありました。

でも、そうと決めて考えれば考えるほど、この案は名案に思えてきました。ちまたでささやかれる「Y2K問題」だって、沖縄にいれば怖くない。ライフラインがアウトになった場合、まずさしせまった問題はこの時期「暖房」だけど、沖縄なら必要ないし、水や食料についても、離島ならばふだんから台風にそなえてちゃんと備蓄されているし、本土の大都市よりはずっと危機管理が行き届いています。唯一困るのは飛行機が飛べなくなって帰れなくなることですが、これだって本当に「困ったこと」なのかどうか……
というわけで、わたしの「ミレニアム・イン・八重山計画」は発足したのであります。

さて、この「ミレニアム・イン・八重山計画」に最初に立ちはだかった難問は、早割なし&ピーク時運賃の高い飛行機代。
日程やら滞在費やら、会社休んでさっぴかれる給料(しがない派遣社員なもので)やらを考え合わせて、一番安くあがるのはどの方法かな〜、などと、エクセル使ってあれこれ試算した結果、スケジュールはこんなふうになりました(当初帰りは石垣→羽田の直行便にするつもりでしたが、キップがとれなかったので、那覇で遊んでいくことにしました)。
12/28 (火) 仕事納めの途中でこっそりエスケープ(^^;)
 羽田(15:25)→那覇(18:10)
 宿泊はコバルト荘。
12/29 (水) 一日観光。
 その夜23:00発の「かりゆしおきなわ」に乗船。
12/30 (木) 15:00 石垣港入港
 宿泊は楽天屋
12/31 (金) 竹富島へ。1/4まで松竹荘に滞在。
1/ 4 (火) 石垣(10:00)→那覇(10:50)
 那覇(17:50)→羽田(20:00)
このスケジュールのミソは、船便を取り入れたこと。飛行機に比べれば時間はかかるけど安いし、船中で一泊するから宿代が一回分浮く。できれば往復とも船に、いやいっそ東京から船で行ってしまおうか、とも考えましたが、船の便は毎日あるわけではないので、結局 往路の那覇〜石垣のみが船になりました。一晩のことだし二等船室でいいや、と思っていたら、ここで思わぬ幸運が。
今年の沖縄ファンクラブの「つどい」で琉球海運の優待券を当てた人が、「使う機会がないから」と券を譲ってくれたのです。タダで一等の席を獲得! Aさんありがとーっ!

今回の旅には、特記すべきことがふたつあります。まずひとつは、最初から最後まで「ひとり旅」だということ。
以前、沖縄に旅する時、わたしはいつも大学時代の友人と一緒でした。ところが、その友人は八重山のとある離島で出会った人と縁あって、1998年の夏に結婚、移住してしまいました。その後はいろいろな人たちと旅行したり、途中で合流したりという旅でしたが、ずーっとひとり、というのは初めて。どっちかというとひとりの方が自由に行動できるし気楽だけど、毎晩ひとり淋しくゴハン食べるのもなんだよなぁ(竹富島の民宿では、同宿の人たちと一緒にゴハン食べるからいいけれど)、と考えたわたしの対策は、「旅先でいろんな人と会うこと」。

まず最初の日の夜には、島旅メーリングリストの知り合いで水納島ツアーの時も一緒に行ったせんべえさんと会う約束をしました。せんべえさんの実家は東京なので、その日わたしと入れ違いに、那覇から羽田行きの飛行機に乗ります。それならば新しくなった那覇空港ターミナルビルで「すれ違いオフ」しましょうよ、ということになりました。

次に3日目の石垣島の夜。石垣島にも、知り合いがいます。沖縄ファンクラブの会員で三線同好会の仲間だったさんきちさん。重症の「八重山病患者」で、本場で八重山民謡を習いたい、とこの夏に移住してしまいました。Yahoo掲示板で知り合ったsimoraさんも、与那国島に行く前に、わたしと同じ「楽天屋」で一泊するというので、「じゃあ、3人で呑みましょう」と約束成立。
その他にも、旅先での出会いはいろいろありました。それはまた、おいおい書いていくことにしましょう。

ふたつめは、旅のおともに三線を加えたこと。さんきちさんが、「どうせなら三線持ってきたら?」と言ったのがきっかけでした。確かに今度は竹富島滞在が長いので、ゆっくり練習する時間もある。冬の沖縄では泳ぐことはまず考えられないので、水着はともかくシュノーケル用具は持っていかずにすみます。そのぶん荷物が減るので、三線ケース一個分の荷物が増えても、なんとかなるかな、と、持っていくことに決めました。

そんなこんなで、今度の旅は「三線抱えてひとり旅」となったわけです。

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