第二回 二人会
2000年12月1日(金)午後7:30時開演
abc会館ホール
第二回「二人会」に寄せて
参議院議員 高野博師
第二回「二人会」の開催、誠におめでとうございます。
柳井美加奈さんが、昨年芦垣美穂先生と「二人会」なる演奏会を始められましたが、お二人で毎年一回、
十年間の公演を計画されているとのことで、そのスケールの大きさと、芸術を追究される真摯な姿勢に打たれ
ました。第一回「二人会」の演奏会は期待通り感動的なものでした。
 柳井さんとは、思い起こせば、十数年前、私が南米で勤務していた頃からのおつきあいになります。
柳井さんは邦楽演奏家という枠にとらわれず、時にはロックバンドと時にはクラシックとの共演を試みて、
海外でも多くの聴衆を魅了してこられました。
 感動を共有することの出来る芸術は、やわらかな人と人の絆を作り、ゆるやかな連帯を作ると言われます。
芸術・文化こそ人と社会を安定させるものであると思います。
 柳井さんが敬愛してやまない芦垣先生も、その道を極められた第一人者でいらっしゃいます。お二人の固い
信頼の上に築かれた「二人会」が、再び新たな感動と発見をもたらしてくれることを私は信じてやみません。
ごあいさつ
芦垣美穂
本日は、お寒いなか、ご多忙にかかわりませず、お越しいただきまして衷心より御礼申し上げます。
昨年二人でこの会の案を練った折、各々独奏曲を演奏し、最後に合奏曲をという三曲構成を演奏会の
形式としようと取り決めました。このことは相当な研鑽を要することと、昨年身をもって感じ、今年こそはと
二人ともどもに真剣に取り組んでまいりました。どうぞ、忌憚のない御批評を賜りますようお願い申し上げます。
 さてお相手の柳井美佳奈さんという方、彼女はとても不思議な魅力を持った人です。その魅力の源を私なりに
分析してみました。お父上は詩人、亡きお母上は画家、弟さんお二人は画家、陶芸家と芸術一家の中に音楽家
としての道を歩んでこられた訳ですが、彼女の、演奏家としての演奏の中には激しさと理性が混在し、また
作曲家としての作品の中には、情念と悲しみを感じます。単なる箏曲家には止まらない、何かを感じさせるのは、
正にご両親の芸術性の深さに他ならないと私は思っております。皆様もきっと何かを感じて彼女の周りに
集まって来られているのではないかと思いますが、実は私も、後輩でありながら彼女の魅力に参っている
一人でございます。
 本日の演目は「奈蕗」「古ざらし」「萩の露」の三曲といたしました。古典を基盤に演奏活動をしてまいりました
同志、今日の演奏で、皆様の心に優しい潤いをお伝えできたらと、念願いたしております。
曲 目
筝組歌 菜蕗  筝独奏 柳井 美加奈
(八橋検校作曲)
古ざらし 三絃独奏 芦垣 美穂
(深草検校作曲
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萩の露 柳井 美加奈
(幾山検校作曲 三絃 芦垣 美穂
曲目解説
筝組歌 菜蕗
一 奈蕗といふも草の名 茗荷といふも草の名 富貴自在徳ありて 冥加あらせたまへや
二 春の花の琴曲 花風楽に柳花苑の鶯は 同じ曲を囀る
三 月の前の調べは夜寒をつぐる秋風 雲井の雁がねは 琴柱に落つる声々
四 長生殿の裡には春秋をとめり 不老門の前には月の影遅し
五 弘徽殿の細殿に たたずむは誰々 朧月夜の内侍のかみ 光源氏の大将
六 誰そや この夜中に さいたる門をたたくは たたくともよもあけじ 宵の約束なければ
七 七尺の屏風も躍らねばなどか越えざらん 羅稜の袂も引かねばなどか裂れざらん

八橋剣校と聞けば、「六段の調べ」「みだれ」がまずあげられますが、箏曲の祖として歌詞がついたもの、いわゆる組歌も何曲か残されています。箏組歌表組の第一曲目にあげられているのがこの「奈蕗」です。
 一つの歌が64拍からなり、七つの歌から成り立っていますが、各歌の内容は、何の脈絡も持ちません。私が、当時の人々の詩的格調の高さに感服いたしますのは、年を取らないことを「春秋をとめり」と言い、年月の歩みの遅いことを「月の影遅し」などと言うところで、何とも言えない心地よい韻と深さを感じます。第一歌は身近な植物の名を仏教用語にかけた内容であり、他に源氏物語(第二、五歌/花宴)や、和漢朗詠集(第四歌)、有名な故事(第七歌/史記荊軻伝)などの、文芸的な表現を音楽的韻律に改変させて、七つの歌として構成されています。江戸時代、鎖国の影響を強く受ける以前の開放感を持つこの曲の文学的にも音楽的にも乗り越えることの高きを感ずる時、この曲が箏の稽古の手ほどきの曲として最初に教えられたということの重みを、驚きとともに、納得いたします。
(柳井美加奈)

古ざらし
槙の鳥には さらす麻布 賤が仕業や 宇治川の 波か雪かと白妙に いざ立ち出でて エー布さらそう
かささぎの 渡せる橋の霜よりも 晒せる布に白み在り候 のうのう山が見え候 朝日山に霞みたなびく
景色は たとえ駿河の富士はものかは 富士はものかは
見渡せば 見渡せば 伏見 竹田に淀 鳥羽も いずれ劣らぬ名所かな いずれ劣らぬ名所かな
立波は 立波は 瀬々の網代にさへられて 流るる水を堰き止めよ 流るる水を堰き止めよ
所からとてな 所からとてな 布を手毎に 槙の里人打ち連れて 戻ろうやれ 賤が家へ

 「さらし」という曲名をお聞きになって、邦楽に関心のある方ならきっと思い出される曲がお有りと思います。山田流では「さらし」「新ざらし」、中能島欣一師の「さらし幻想曲」、「さらしに寄せる合奏曲」。生田流では、三絃の「早ざらし」宮城道雄師の「さらし風手事」、これらの曲の中には、この「古ざらしの」フレーズが、余す所なく、また巧みに取り入れられています。他に曲の一部に使われている曲として「名所土産」「玉川」、長唄の「越後獅子」、「晒女」等々・・・・・・・・・。この曲を元にして技倆の限りを尽くした、独特の編曲をした物が色々出てきたのにつけてもっとも古いこの曲を「古ざらし」と言っております。
 元禄時代の深草剣校の作曲となっています。地唄の中でも、手事物の原型として、貴重な曲の一つですが、本来の地唄ではなぜかあまり弾く人がいなくなりました。昔の人にこんなに好まれた節を持つこの曲を、もう少し皆様に知っていただきたく思い、本日の会に演奏させていただくことにいたしました。本来は、地を入れて演奏いたしますが、本日は一人弾きのため、少し寂しいかもしれませんが、この曲の持つ節の面白さをお分かり頂けたら、と願っております。
(芦垣美穂)

萩の露
いつしかも 招く尾花に袖触れ初めて 我から濡れし露の萩
 今さら人は恨みねど 葛の葉風にそよとだに
おとづれ絶えて松虫の ひとり音に鳴くわびしさを 夜半に砧の打ちそへて
 いとど思ひを重ねよと 月にや声は冴えぬらん
いざさらば 空ゆく雁に言問はん
 恋しきかたに玉章を 送るよすがのありやなしやと

 幕末から明治初年にかけての地唄の名手、幾山栄福剣校の作曲。歌詞は霞紅園と名乗る川瀬某です。地唄の手事物と呼ばれる形式のもので前唄、手事、チラシ、後唄に分かれています。明治になって新様式の曲がつぎつぎ生まれる中で、伝統的な延長線上にある最後の名曲といえます。途絶えた恋をかこつ、かよわい女心をうたったもので、深として忍ぶように始まります。恋心が通じぬ侘びしい思いに堪えかね、秋の月を見て思いをつのらせ、空行く雁に便りを届ける方法はないかと空しく問いかけている情景です。沸き立つ気持ちをおさえて、目に写るもの、耳に届くものに魂を預けながら、なお燃える思いを隠しきれない女心の切ない独り言なのでしょう。
(守山偕子)