第四回
  
2002年12月5日(木)午後7:30時開演
abc会館ホール
          邦楽と古典
                   坂田 明
 邦楽の古典、そんな事は門外漢の私に判る訳ない。といってしまえば、邦楽の
門は目の前でぱたんとしまる。全ての音楽の門は民百姓の前でも開かれている方
がいい。例えそれが人間国宝だの、重要無形文化財とかいう肩書きが付こうと付
くまいと、判る人間を騙す事はできないはずだ、と私は思う。
 すべての虚飾を排して芸をさらけ出した時に明らかになるもの、そこに芸の真
髄があるはずだ。そのことがわかりやすいのは古典の世界だろうと思う。何故な
ら、古今東西の優れた表現者がその前で自分の芸を映したであろう鏡のような場
所だから。
 私にも少しは古典の芸というものの何たるかを垣間見せてもらってもいいじゃ
ないか。その足で私は、芸者のハチャメチャも見たい。日出づるところと、日の
収まるところの間に、芸に精進するものの生と死があるからだ。我々はその扇形
の時空のなかにあって、うたかたのように吸って吐く。そして願わくは、そのど
ちらかに偏ることもなく扇の全体を動態として認識したい。
 邦楽の古典であろうと何の古典であろうと、生まれた時にはすでに数百年の歳
月を経て、そのものが存在していることには抗い様も無いものがある。そのことに
敬意を表する事と、表現者として古典に新しい命を吹き込むことは同義である。
すなわち破壊と創造は表裏一体であり相補的なものである。この勇気をもって新
しいいぶきを吹き込んだものが、今こうして納まろうとする場所、それが芸に奉
ずるものにとっての古典ではなかろうか。     (サキソホーン奏者)
曲 目
筝組歌
雲井の曲
筝独奏 柳井 美加奈
 
春の夜 柳井 美加奈
尺八 青木 鈴慕
屋上の松 柳井 美加奈
三絃 藤井 泰和
尺八 青木 鈴慕

解 説
雲井の曲         作曲 八橋検校     
一歌 人目忍の仲なれば、思ひは胸に陸奥の千賀の塩竃名のみにて、隔てて身をぞ焦がるる
二歌 忘るるや忘らるる、我が身の上は思はれで、仇名た憂き人の末の世いかがあるべき
三歌 たまさかに逢ふとても尚濡れまさる袂かな、明日の別れをかねてより思ふ涙の先立ちて
四歌 雨の中の徒然、昔を思ふ祈りから、哀れを添へて草の戸を、たたくや松の小夜風
五歌 身は浮き舟の楫緒絶え、寄る辺も更に荒磯の、岩打つ波の音につれて千々に砕くる心かな
六歌 雲井に響く鳴る神も落つれば落つる世の慣ひ、さりとては我が恋の、などか叶はざるべき

八橋十三組の一つ、奥組三曲の第三曲。先考の寺院雅楽歌謡や、筑紫箏とは無関係で、
すべて八橋検校の独創と思われる。音楽的、文学的に優れた価値を持ち、表組第一の『菜
蕗』と呼応して八橋十三組の最後を飾るにふさわしいものである。
柳井の師匠である小橋幹子師の最も愛する組歌の一つであり、その演奏の追求を柳井に
託されたと聞く。
春の夜          作曲 宮城 道雄   作詞 土井 晩翠 
あるじはたそや 白梅の、香りにむせぶ春の夜は、朧の月をたよりにて、しのび聞きけん妻
琴か(手事)そのわくらばの 手すさびに、そぞろに酔える人心、かすかにもれし ともし
火に、花の姿は照りしとか たをりは はてじ 花の枝、なれしやどりの鳥なかん、朧の月
の うらみより、その夜くだちぬ春の雨 (手事)ことはむなしく音をたえて いまはたし
のぶかれひとり ああその夜半の梅が香を、ああその夜半の月影を

土井晩翠の「天地有情」にある「はるのよ」に、作曲したものである。宮城道雄を、ソウ
ル時代の作で、土井晩翠の天才と宮城道雄の天才とが、みごとに結びついた作品といえ
る。後に、箏は、手事の部分に替手が付けられ、さらに後に、尺八が加えられた。本日
は、箏と尺八の二重奏である。
尾上の松         作曲 不明  作詞 不明  箏手付 宮城道雄
(前奏)やらやら芽出たや、芽出たやと、唄ひうちつれ 尉と姥。(合)その名も今に高砂の
尾上の松も 年ふりて 老いの波も 寄り来るや。 この下蔭の 落葉かくなるまで 命な
がらへて 猶いつまでか 生きの松。 (合)千重に栄えて 色深み、(合)箏の音通ふ松
の風 太平楽の調べかな。 (手事三段)豊かにすめる日の本の 恵みは四方に (合)照
り渡る 神の教えの跡垂れて 尽きじ尽きせぬ 君が御代 萬歳祝ふ神かぐら みしみんの
前に八乙女の袖振る鈴や振り鼓 太鼓の音も笛の音も 手拍子揃えていさぎよや。(手事)
あら面白や面白や 閉さぬ御代に相生の松の緑みどりも春来れば、 (合)今ひとしほに
色勝り、深く契りて 千歳経る (合)松の歳を今日よりは 君にひかれて萬代を 春に栄
えん君が代は 萬々歳と 舞ひ唄ふ。

九州系の地歌三弦曲として伝承されたもので、作曲者、作詞者は不明である。歌詞は、
謡曲の、「高砂」より取り、播州加古川の、尾上の松に寄せて、御代の泰平と長寿を祝
う内容となっている。
宮城道雄により、古典としての収まりを持ちながら、現代に息吹を感じさせる細かい箏
の手が付けられ、三曲合奏となり、この後普及した。
小橋師の、他の追随を許さぬ抜群のリズム感を改めて納得し、この孤高の技に生涯をか
けて少しでも近づく所存であると伺っている。
                                       (解説 守山 子)