共産党は「普通の政党」になれるのか

 

後 房雄

(注)、これは、「週刊金曜日」(1997.10.24号)の『日本共産党はどこが変わりどこが変わらないか』という特集三論文のうち、名古屋大学法学部教授後房雄氏の上記題名の全文です。このホームページに全文を転載することについては、後氏のご了解をいただいてあります。

 〔目次〕

   何が問題の核心なのか

   フランスとイタリアの先例

   民主主義ゲームの外で

   「左翼の古くからの悪癖」

   変化の可能性はあるのか

 

 (関連ファイル)        健一MENUに戻る

   後房雄 『民主主義と両立する左翼』イタリアと日本の左翼の自己刷新

   後房雄・訳 『イタリア左翼民主党規約』全文

   『イタリア左翼民主党規約を読む』(宮地作成)

    何が問題の核心なのか 

 共産党は「普通の政党」に変わるのかどうか。日本の民主政治にとっては、やはりこれが中心論点であろうし、多くの人の関心もそこに帰着するのではないかと思われる。

 ということは、共産党は依然として「特別の政党」だという印象を与え続けているということでもある。

 この小論では、その「特別」という印象は何に由来するのか、「普通の政党」になるというのはどういうことなのか、そうなる可能性はどれくらいあるのか、という一連の問題を考えてみたい。

 共産党自身も、その問題を意識しているようである。「二十一回大会決議」は、自民党や財界関係者のなかからも、「共産党が有権者に普通の政党として受け入れられていることが何よりの驚異だ」という声があげられたと紹介している。そして、「現実政治を動かす政党」、「政権をになう政党」という期待が寄せられており、そうした期待にこたえる活動をすすめることが必要だと述べている。

 「総選挙と都議選での躍進」によって、そのような「普通の政党」に変わっていく可能性が広がったという見方もあるだろうが、はたしてそうであろうか。また、共産党自身、本当の所、「普通の政党」になることを望んでいるのであろうか。

 ここで、問題の核心をはっきりさせるために、次のような設問を行ってみたい。

 並立制による次の総選挙において、仮に、自民党と小沢グループによる保保連合と、それ以外の諸勢力(民主党、太陽党、さきがけ、社民党、新進党の残りなど)によるリベラル連合という二大勢力の対決という構図になり、小選挙区において両者が拮抗し、共産党がリベラル連合と連携するかどうかによって勝敗が決定されるという状況になったとしたら、共産党はどのような行動をとるのか。

 筆者の理解では、こうした場合に、もちろん一定の政策協定のうえであるが、候補者調整などの選挙協力を行ってリベラル連合の勝利、政権樹立に貢献するというのが「普通の政党」(もちろん左翼の)としてとるべき行動である(政権樹立後に、閣内与党になるか、閣外与党になるか、それとも政策毎に是々非々でいくか、というのは選択の幅がありうる)。

     フランスとイタリアの先例 

 実際、そのような方向に踏み出した共産主義政党もすでに存在する。

 今年六月のフランスの総選挙(小選挙区二回投票制)において、フランス共産党は社会党と決選投票において選挙協力を行って左翼の勝利に貢献し、その後の社会党首班内閣に参加するという選択を行った。社会党が公約していたヨーロッパ通貨統合への参加に反対だという、大きな政策的相違が存在していたにもかかわらずである。

 イタリアでは、イタリア共産党の左翼民主党への転身に賛成しなかった党内反対派と新左翼勢力などが一緒になって九一年に結成した共産主義再建党は、小選挙区が七五パーセントを占める新しい制度による九四年総選挙で、左翼民主党やその他の左翼勢力とともに進歩派連合を結成して全小選挙区に統一候補を立てて戦った(結果は右派連合の勝利)。

 また、九六年総選挙では、左翼民主党が中道勢力とともに結成した中道左派連合「オリーブの木」との間で、中道右派連合を打倒するための「休戦協定」を結び、やはり全小選挙区で統一候補を立て、きわどい差での中道左派連合の勝利に決定的な貢献をした。選挙後は、中道左派政権(プローディ内閣)の樹立に直ちに支持を表明し、今後は政策毎に是々非々で対応すると表明した。実際、この一〇月に九八年度予算への反対を表明してプローディ首相を辞職に追い込むまでは、事実上の与党として一年半に及ぶ「安定政権」の継続を支えてきた(最近の動向については後述する)。

     民主主義ゲームの外で

 それでは、日本の共産党は、先の設問で示したような状況において、はたしてリベラル連合との連携に踏み切るであろうか。答えは、残念ながらノーである。

 それは、新進党、民主党、社民党などを一括して、「総自民党化」、「オール与党」勢力と断定していることから明らかである。共産党によれば、それらの政党の行動は、「にせの『対立軸』、にせの『受け皿』をつくる試み」であり、「どんな意味でも新しい政治を生み出さず、自民党による悪政の推進を助ける役割しかもたない」(「大会決議」)。

 そうである以上、それらの政党とのどのような連携も問題外とならざるをえない。

 不破委員長による「中央委員会の報告」でも、「現在、国政のレベルで、民主的改革で共同できる政党は存在しません」と明言されている。

 そして、それでは、今大会であらためて目標として掲げた「民主連合政府」における連合の相手はどうなるのか、という疑問に対しては、次のような回答が示されている。

 「今後、民主的改革への条件が熟する過程、特に国民の多数がそういう改革を支持する方向に情勢が熟する時期には、国民的な根をもった民主的な党派が生まれる可能性は十分にあります」。

 この前提には、「民主的政権を誕生させるような政治的な力関係の大きな変動は、あらゆる分野での大衆運動の画期的な発展をぬきにしてはありえない」という認識がある。

 要するに、党勢拡大・大衆運動の発展→政治的力関係の変動→民主的党派の出現という経過を経てはじめて政党間の連合や民主連合政府が日程にのぼるということである。

 では、民主連合政府をともに担うにたる「民主的」党派であるかどうかの判断基準は何かといえば、それは、「大会決議」でも「今日的生命力」が再確認されている「革新三目標」(日米軍事同盟と手を切る、大資本中心の政治の打破、議会制民主主義の確立)にほかならない。

 この基準は、科学的社会主義に基づいて共産党が導き出した最低限の基準なのであろうが、ともかく、あらかじめ設定されたそうした基準を満たす「民主的党派」が誕生するまで、「自共対決」(「大会決議」)を主軸に大衆運動を展開し、共産党自身の党勢(機関紙と党員)を拡大することによって力関係を変化させていくというのが共産党の戦略ということであろう。

 逆に言えば、自ら設定した基準にまで他の政党が達するまでは、政党間の合従連衡(民主主義ゲーム)には加わらず、その外部から圧力を加え続けるということになる。まさに、このようにして他の政党と同じ土俵に身を置くことを拒否しているということこそが、「特別の政党」という印象の根源のように思われる。

 それでは、それと対比される「普通の政党」とはどのようなものか。「普通の政党」は、現在の諸政党の状況は基本的には現在の国民の状況に対応したものとして受け止め、あくまでもその状況を出発点として戦略、戦術を考える。もちろん、「普通の政党」も、それぞれなりの理念や政策目標をもっているが、他の政党が自らの設定した基準に達するのを待つのではなく、現状において相対的に近い政党と連携して政権を成立させ、妥協を通じて自らの目指す方向での改革を少しでも実現しようとする。つまり、政党レベルでの多数派形成を自らの設定した基準が満たされる時点まで待つのでなく、現状でも可能な相対的にベターな多数派形成を通じて少しでも自らの理念や目標に向かって前進しようとするのである。

    「左翼の古くからの悪癖」

 ここで当然浮かぶ疑問は、共産党はなぜ、自らが(いわば勝手に)設定した基準を満たさない政党とは政権連合を組まないという姿勢を崩さないのかということであろう。

 それを考えるうえで参考になるのは、イタリアで九六年四月総選挙後に、キャスティング・ボートを握った共産主義再建党が中道左派政権を支持するかどうかが問題となった時に、ある論者が、問題の核心は、再建党が「左翼の古くからの悪癖」である「最大限綱領主義」(マッシマリズモ)を克服できるかどうかだと指摘したことである(ピエーロ・オットーネ「左翼の古くからの悪癖」、『レプッブリカ』紙九六年四月二六日付け)。

 彼によれば、左翼には二つの「政治体質」がみられるという。一つは、自分が望むものをすべて得られないのなら、すべてをぶち壊すという「政治体質」である(最大限綱領主義)。もう一つは、自分はより多くを望んでいるが、しかし最終的には現状で得られるもので満足する、自分の目標や期待からすればわずかなものかもしれないが、わずかでもゼロよりはましだ、と考えるような「政治体質」である(改良主義)。

 具体的には、再建党が、自らの要求している「賃金の物価スライド制」の復活を実現できなくても、中道左派政権を倒すのではなく、有効性はより少ないにしても、勤労者の購買力を守る他の形態を受け入れるという行動を選択できるかどうかが問題であった。

 実際には、再建党はまさにそのような行動を選択することによって、プローディ中道左派政権を最近まで支えてきた。

 ところが、一年五か月を経た最近になって、年金の引き下げに反対して九八年度予算案に反対投票することを宣言して、一〇月九日にはプローディ首相を辞職に追い込むという行動に出た。より大幅な引き下げを主張している右派に政権を与えることになる危険を冒してでも自らの主張に固執するという意味で、まさに「最大限綱領主義」の復活である。

 しかし、当然ながら、かなりの成果を上げてきた中道左派政権を倒し、可能性がみえてきたヨーロッパ通貨統合への参加を絶望的にするような唐突な行動に対して、党内や支持者からも批判が続出したこともあって、翌一〇月一〇日には突如、今度はあらたな政策協定を前提にしてプローディ中道左派政権を再び支持する用意があるという意思を表明した。問題の予算案には以前として反対を変えていないので妥協が成立するかどうかは分からないが、あきらかに「改良主義」への揺り戻しである。

 このイタリアの共産主義再建党の事例は、共産主義政党が最大限綱領主義の悪癖から苦しみながら脱却していく過程をリアルタイムでみせてくれている。もちろん、その成否は、中道左派の他の政党の的確な妥協能力にもかかっているわけであるが(その後、再建党は週三五時間労働制の採用を条件に予算案を受け入れ、内閣信任案に賛成投票した)。

 いずれにしても、日本の共産党が「普通の政党」になり、「政権をになう政党」になろうとするならば、まさにこのような苦しい自己改革の過程を避けることはできないということが以上から理解されるであろう。これこそが、共産主義政党が「普通の政党」になるうえで克服しなければならない共通のハードルなのである。

     変化の可能性はあるのか

 「二十一世紀の早い時期に、政治革新の目標で一致する政党、団体、個人との連合で、民主連合政府を実現する」と「大会決議」は述べている。しかし、すでに指摘したような「最大限綱領主義」的な精神態度を続ける限り、具体的な連合相手は得られないまま、日本政治は共産党が予想しなかった新しい課題にも取り組みながら共産党の想定する方向とは異なった展開をみせ、共産党は七〇年代に続いて再び民主連合政府の期限を先延ばしにすることにならざるをえないであろう。

 それとも、あえて他の政党と同じ「泥のなか」に入りながら共に一歩でも前進しようとする「普通の政党」の道を選ぶのか。

最近は、京都の城陽市長選での「保守・無党派」との共闘など、地方自治体レベルではそのような動きも出ているようだ。では、国政レベルでの政党間連合はなぜできないのか。共産党の「政治体質」の変化に注目したい。                                    
  


 うしろ ふさお 一九五四年富山県生まれ。名古屋大学法学部教授(政治学・行政学)。著書に『政権交代のある民主主義』(窓社)、『五五年体制の崩壊』(共著・岩波書店)

以上    健一MENUに戻る

 (関連ファイル)

   後房雄 『民主主義と両立する左翼』イタリアと日本の左翼の自己刷新

   後房雄・訳 『イタリア左翼民主党規約』全文

   『イタリア左翼民主党規約を読む』(宮地作成)