最後の王都マンダレー

その5新しい年に


 年越しの夜は体調が悪く、ホテルで休んでしまいました。他のみんなはHITOセンターの人たちと夜中まで賑やかにすごしたようです。


<98年 1月 1日>

 この日は、ホテルで休んでいようか、みんなと出かけようか迷いましたが、結局、ホームビジットに参加しました。

 私のグループは、HITOセンターの日本語クラスの生徒でもあるお医者さん(私たちはドクターと呼んでいました)の家を訪問しました。
 タナカ(ミャンマーの化粧品)工場の見学やザガインおっぱいパゴダ(カウンムード・パゴダ)へも連れて行ってもらいました。

 また、ドクターの家でお昼をごちそうになったり、水まつりのビデオを見せてもらったりして、楽しい1日を過ごすことができました。ミャンマーのパパイヤは、大きくて、すっごく甘くて、もう最高!
 
おみやげにタナカカレンダーをいただきました。

 何度も書きますが、今度は英語をちゃんと話せるようにがんばらなくちゃ!

 ミャンマーの男性がよくかんでいる葉っぱ、どんな味がするんでしょう?好き嫌いはあるらしいけど、赤い色がでるのが不思議。そういえば、ネパールにもそんなのがあったみたいだけど。


<98年 1月 2日>

 朝からゼェジョーマーケットでショッピング。私と久保田さんは、案内してくれたHITOセンターのスタッフを逸早くゲット、彼女にロンヂーシャンバッグを見つくろってもらいました。また、市場をうろうろしているときにHITOセンターのコンピュータクラスの生徒さん(駄菓子屋さんのお嬢さん。とっても可愛い)に出会い、お茶をごちそうになりました。

 この夜は、マンダレーYMCA文化交流会が行われましたが、私はだいじをとってお休みしました。

編者注:文化交流会では、子供たちのお遊戯、若者たちの民族舞踊などを見せていただき、こちらは二人羽織(爆笑!……おはずかしい)と指人形劇を披露しました。また、みんなで「しあわせなら手をたたこう」を手話の振りつきで唄い、楽しい時間を過ごしました。


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最終更新日:2002年 8月30日(v1.03)