ミャンマー式結婚顛末記
〜ミャンマーふれあい旅行記・パート2〜

その2:こんなはずじゃあ……


<98年12月24日>

 朝一番の飛行機でマンダレーへ向かう3人は、ホテルのロビーに5時集合。
 ヤンゴン7時発のエアーマンダレーに搭乗しました。その飛行機はバガン経由。ああ、どんなにバガンで降りたいと思ったことか。でも今回は時間がないのです。

 マンダレーには9時頃到着。HITOセンターのマン・マン・ウィンさん自ら迎えに来てくださいました。ウィンさんが見せてくれた私たちの結婚式の招待状が奇麗に印刷された本格的なものであるのにびっくりしました。さらに、出席者が80人もいると聞かされてまたびっくり!日本での結婚式より盛大じゃないですか……。
 空港から市内への車中では、牧師さんが90マイルも離れたところから来てくださるのだと聞かされてまたまたびっくりしてしまいました。

 ホテルのチェックインをすませ、HITOセンターに着くと、隣の教会の施設(講堂?)を借りて「日本語フリークラス」のオープニングセレモニーが行われていました。私たちは、荷物を置く間もないほどあわただしくそれに参加、中に入り切れず庭にいた山地さん、柴田さん(は初対面ですが、宏美はネパールでお世話になっています)、早水さんら平常のHITOセンター教師陣やミャンマー人スタッフら関係者たちと再会を喜び合いました。なにより嬉しかったのは、スタッフの皆さんが私たちのことを覚えていて、友人として迎え入れてくれたことです。1年前に数日間お世話になっただけなのに……。
 フリークラスの講師となるプール学院大学の学生たちの自己紹介が済み、これでセレモニーも無事終了と安心していたところ、突然名前を呼ばれて前に立たされてしまいました。そこで松田先生が「この人たちは昨年ミャンマーで知り合って、26日にここで結婚式を挙げます」と紹介してくれました。少々恥ずかしかったのですが、「これもHITOセンターのPRのため」と、ひきつった笑顔で拍手に応えました。

 昼食後、さっそく結婚衣装を選ぶため貸衣装屋(あるんですねぇ、ミャンマーにも)へ。
 ミャンマーでもキリスト教徒の場合、花嫁は純白のウェディングドレス(もちろん西洋風の)を着るそうですが、私たちは違うのでミャンマーの伝統的な衣装(ロンヂーの豪華版!?)を着ることになりました。それでも最初は白を着るつもりで物色したのですが気に入ったものがなく、ピンクの衣装ということになりました。宏美ピンクの衣装に合わせてのロンヂーと帽子もピンクということに……似合っているかどうかは、後のページの写真をご覧ください。

 HITOセンターに戻ると、隣の教会の庭でバザーをしていました。売り子はプール学院の学生たち。品物もほとんど彼女たちが持って来てくれたものでした。バザーは大盛況で、当初2日間予定していたものが、1日で終了することになりました。私たちが持って行った手帳も商品として提供され、全部買っていただけたようです。ご協力いただいた皆様ありがとうございました。


衣料品は女性に大人気

 


一方、文房具には男性が

 


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最終更新日:1999年 3月28日(v1.01)