ミャンマー式結婚顛末記
〜ミャンマーふれあい旅行記・パート2〜

その3:なんと宿題が


<98年12月25日>

 結婚式前日です。でも夕方の打ち合わせまで暇な私たちは、午前中、マンダレー駅近くのチャイニーズマーケットへ行きました。
 道の両側にいろいろなものを売る店が延々並んでいます。その狭い道を行きかう人々。私たちも食料品のエリアから日用雑貨のエリアまで、ず〜っと歩いてみました。マンダレーの人々の実際の暮らしぶりを、ほんの少しですがかいま見ることができたような気がします。

 夕方HITOセンターへ行き、90マイルも離れたところから来てくださった牧師さんと結婚式の打ち合わせ。
 まず、式場となる空き地(教会の敷地?)で、おおまかな段取りについて教えていただきました。その時に私たちのフルネームと住所、職業、それぞれの両親の名前を牧師さんに聞かれたので、メモを作って渡しました。
 センターに戻ると、牧師さんが何やら書き物を始めました。
 しばらくして書き終えられ、手渡された紙には英語がびっしり。そう、新郎新婦それぞれの誓いの言葉を書いてくださったのです。そして「明日までにこれを言えるようにしておいで。時間が1日しかないから紙を見てもいいから。それが君たちの今日の宿題だ」とおっしゃいました。まさか宿題をだされるとは……。でもそれだけ真剣に私たちの結婚式のことを考えてくださっているんだと思うと手を抜くわけにはいかず、その後ずっと紙を持ち歩いて暇を見つけては練習していました。

 夜はマンダレーYMCAの幼稚園のクリスマス会に参加しました。
 その幼稚園はマンダレーの市街地から車で1時間ほど離れたところにあり、建物は日本のODAで建てられたものだそうです。
 庭に作られたステージで、かわいい幼稚園児たちがお遊戯や演劇を披露してくれました。
 その流れで、日本から参加している私たちもステージで何かすることになり、プール学院の学生さんたちに交じって定番の「幸せなら手をたたこう」を振り付きで唄いました。最後にいつものように客席の子供たちをステージに上げて一緒に唄って踊りました。


幼稚園児たちのお遊戯

 

 ところがその際、松田先生が「この二人は明日HITOセンター結婚式を挙げます、って紹介してやってくれ」などとおっしゃるものですから、そこはノリのいいマン・マン・ウィンさん、私たち二人を前に出させて、しっかり紹介してくださいました。それだけならまだしも、後ろのプールコーラス隊は「幸せなら抱き合おう!」と唄いだし、1コーラス終わると今度は「幸せならキスしよう!」などとやり始めました。
 サービス精神旺盛な私たちは最後にしっかりキスしてみせました。当然、会場内大ウケ。でもコーラス隊の一人がポツリ「ほんとにやるとは思わんかったわ」。あのな〜、やるように仕向けたんは誰じゃ〜!
 発表がひととおり済むと、今度は園舎に入って折り紙大会。飛び入り参加だった私たちも、昔の記憶を頼りに鶴や兜、蝉、飛行機などを折って、子供たちにプレゼントしました。
 予定を知っていればしっかり予習してきたのに……。


キリスト生誕を描いた演劇

 

 一旦HITOセンターに戻った後、スタッフが私たちをホテルまで送ってくれました。
 その途中、お店に寄って、宏美には今女性に流行っている底の高いパナッ(ミャンマーの草履。最近ミャンマーの人たちはスリッパと呼んでいるらしい)を、にはミャンマーの男性がよく着ている襟のない白いシャツを買ってくれました。なんでも明日の結婚式で身に着けるようにと、結婚の証人になってくださるマンダレーYMCA理事長ウー・ター・セーさんからのプレゼントとのことでした。前回と言い今回と言い、いただきものばかりの私たちです。


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最終更新日:1999年 3月28日(v1.01)