ミャンマー式結婚顛末記
〜ミャンマーふれあい旅行記・パート2〜

その5:馬車行列、そして大宴会


<98年12月26日>のつづき

 結婚式は無事終了。これからレセプション会場へ移動です。
 日本にいたころ聞いた話では「馬車でマンダレーの旧王宮を1周(約8km)!?」だったのですが、予定変更。馬車でまっすぐ西へエーヤワディー(イラワジ)河畔まで行き、そこから車に乗り換え川沿いに南下してレセプション会場のレストラン「エメラルド・グリーン」までとなりました。
 それでも私たちの乗るオープンカー(写真ご参照)を先頭とした3台の馬車とそれに続く自動車の行列はじゅうぶん目立ち、沿道は見物の人々でいっぱいでした。


こんな馬車に乗りました

 


馬車の上で
向こうに見えるのが旧王宮の堀

 

 旧王宮の北西の角に面したHITOセンターの前で乗車したのですが、一部とはいえ主要道路を塞いでしまい、しっかり渋滞の原因になっていました。

 そこからすぐにUターンして、行列はHITOセンター北側の道を西へ。
 市街地から離れて行く道路だけに車も人もそう多くはありませんでしたが、擦れ違う人たちは皆注目。そんな中、カメラマン氏はバイクの後部座席(荷台?)からポーズを要求。嬉し恥ずかしの複雑な心境で車上から手を振りました。
 ちょうど沈んでゆく夕日が正面に見えて、とても感動的でした。

 エーヤワディー川の土手(堤防ではない……と思う)に到達したところで馬車を降り、自動車に乗り換え。土手に沿って南下しました。

 沿道には、またもや人だかりが。
 この辺りは日本で売られているガイドブックの地図にも詳細が記されていない、マンダレーの普通の人たち(?)の居住地域。木造の小さな家々が並び、家畜の姿も見られました。人々の生活は質素なようですが、ところどころに見られるパゴダは小規模ながらどれも金色に輝いていて、この国の人たちの信仰の篤さが伺えました。

 しばらくすると車は土手の上に。広く、ゆったりとしたエーヤワディー川の流れが見渡せました。
 船着場には、バガン行でしょうか、大きな客船がありました。

 レストラン「エメラルド・グリーン」に到着。
 ここでも例によってカメラ・スタッフに注文をつけられながら、ゆっくり、ゆっくりと入場しました。
 雛壇の上にたどり着くと、今度は関係者との記念撮影、ポーズを取ってスチール撮影と大忙しでした。


かわいいお嬢さんたちと

 


お父さん、お母さんたちとケーキカット

 

 撮影が一段落すると、ようやく、マン・マン・ウィンさんの司会でレセプションが始まりました。
 会場のどよめきに「何が起こったのか」と振り返ると、そこには奇麗な切文字で“Mr. Masaki Kubota & Miss Hiromi Sasaki”“Wedding Reception”と書かれているではありませんか。開始前はカーテンで隠されていたのです。粋な演出に大感激!

 ケーキカットは二人だけでなく、証人のウー・ター・セーさんと松田先生、父親がわりの寺川先生、母親がわりの山地先生といっしょに行いました。

 ひととおりの儀式(?)が済んで、会食が始まりました。
 私たちは、牧師さんやウー・ター・セーさんご夫妻、寺川先生、山地先生たちと同じテーブルにつきました。
 料理は大変おいしかったのですが、いかんせん衣装がきつくてあまり食べられませんでした。ちょっと残念。

 BGMはキーボードの生演奏。それも日本の曲を(結婚のパーティーなのに「星影のワルツ」だったりするのはご愛敬!?)。
「北国の春」が始まると新郎(私だ!)自らマイクを握り熱唱!一番を終えたところで松田先生にマイクをパス(「北国の春」は先生の十八番)。
 ここからついに日本人、ミャンマー人入り乱れての大演芸大会が始まりました。
 前回の旅行記でも触れていますが、マンダレーの人たちは本当にノリがいいのです。
 唄って、踊って、賑やかな楽しい夜が更けていきました。


HITOセンターのスタッフたちと

 

 ところで、私たちはここで、またまたプールのお嬢さん方にハメられたのでした。
 彼女たちは日本の結婚披露宴の定番(?)「てんとう虫のサンバ」を唄ったのですが、その中の「口づけせよとはやしたて」というフレーズを延々繰り返してくれたのです。
 その後どうなったかはご想像におまかせします。ビデオにはバッチリ撮られていますが……。


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最終更新日:1999年 3月28日(v1.01)