砂漠とダージリン / page6



 そんな風に、どこか不思議で奇妙な静かさの中に過ぎていった、六月の終わりの、あ
る日のこと。

 その日は、珍しい、にわか雨降りの日でした。

 観測所が創った、畑の穀物達を養うために決まった日に降らせる雨ではなくて、湿っ
た南風が運んできた、この星の、水の循環。
 いつもより、少しだけひんやりと肌に触れる空気には、何処か特別な日の静けさがあ
りました。

 そんな、朝から降り続く雨の日の、人通りの少ない街角を娘は歩いていました。お茶
菓子を焼くための小麦粉を買いだしにいった、帰り道で。

 ぱた、ぱた、ぱた、と、空から降りてきた水滴が傘に当たって、弾けるような和音を
奏でます。
 その調べに耳を傾けながら、少しだけ特別な午前中の雨を楽しんでいた、その時でした。



(あれ、あの人……。)

 お店の多い華やかな一角から、少し街外れに指しかかった路に面した、つんと湿った
緑の香りがする庭先に。
 赤い傘を差した男の人が庭を歩きながら、時折屈みこんで、雨露に光る草達を眺めて
いたのです。


 それも、傘の影から見える顔は、娘にはとてもよく見覚えのある、不精ひげの顔。


(……ダージリンの、あの方かしら? でも……。)
 
 植物を潤わす恵みの雨に、少し嬉しそうに笑って。

 その横顔からは、いつもの不機嫌そうな影は、雨を連れてきた南風に飛ばされたかの
ように、何処かにかき消えているのでした。



「あの……、植物、お好きなんですか?」

 次の日の昼下がり、いつものようにお茶を飲みにきたM氏に娘は思いきって尋ねました。

「何故、そんなことを聞く?」

 相変わらずの不機嫌そうな顔に、まるでお茶に落とす角砂糖のように、少し不思議そ
うな表情を浮かべるM氏。

「だって、いつも難しそうな植物の本を読んでらっしゃるし、それに……。」

「……昨日の雨降りの中で、庭先で楽しそうに草花を眺めていらしたから。」


 その瞬間、M氏は大きくむせかえって、小さな店中に何度も大きなせきの音を響かせ
ました。

 そして、しばらくの沈黙のあと、後ろ頭を困ったようにかいて。

 
「……私は、植物学者なのだ。遠い昔の植物たちを、研究している。」

 いつも通りの不機嫌そうなその声に、何処か照れているような響きを微かに感じとっ
て、娘はこっそりと、くすっと微笑みました。





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