鞦韆(ぶらんこ)



 湿った香りがする六月の森の中を、両手にいっぱ い草花をつめた篭を持って、一人の小人の娘が小走 りに駆けていく。

(まったく、師匠は人使いが荒い……。)

 心の中でぶつぶつと愚痴をこぼしながらも、森の 詩人の弟子であるこの娘は、ちゃんと頼まれた薬草 を見つけだし、師匠のもとへと戻ろうとしている所 だった。



 それにしても、何せ薬草がなかなか見つからなか ったとは言え、ずいぶん森の奥へと入りこんでしま ったものだ。

森の出口の方向は、ちゃんと解ってい るから別にいいのだけど、こんな所にはまだ一度も 来たことがない。



 それに気付いて、ふと周りの木々に目をやってみ る。

ぶな、くぬぎ、そして楓。この辺は、どちらか というと、落葉樹が多い。

秋にもなれば、いまは緑 一色の薄暗い森のキャンバスに、きっと赤や黄色の 華やかな色彩をちりばめるに違いない、とそんなこ とを思ってみる。

あいにくと、この陽気な小人の娘 の心のうちには、知らない場所にいるという不安な どは全く無かった。



 急に、前方が微かに今までより明るくなり、まる で天井のように上を覆っていた木々の葉が、少しづ つ疎らになり始めた。

(あれ、こんなすぐ森から抜けるわけは……。)

まだ、森の端まではかなりあるはず。方向は間違 っていない。だったら何でだろう、とやや訝しげに 思いながらも、小人の娘は、木々の開けた方に駆け 続けた。



 すると、背の高い草が生い茂った広場のような所 にでた。

木々がうっそうと群れ集うこの森の中にあ って、不思議とここだけは、まるで人の手が加えら れたかの様に開かれ、弱々しいながらも、木漏れ日 を浴びて明るかった。

 そう思ってよく見ると、草に埋もれて、幾つか木 で作られたベンチが置かれているのに気付いた。

そ れらはかなり昔のものらしく、時の流れに晒されて 朽ちて、そこかしこに苔が生えていた。



 しかし、この広場にあって一番娘の目を引いたの は、中央の大樹につけられた古い鞦韆だった。

それ は微かに鎖をきしませて、森の広場に黙ってたたず み、周囲に溶け込んでいた。

(森の中に、こんなところがあるなんて……。)

 その広場は、人の手によって作られたにも関わら ず、不思議とそれを囲む森と調和していた。

そして 今は、忘れられたかの様に、時に晒され、荒れてい き、森に還ろうとしている。



(ちょっと休もうかな。)

 小人の娘は、そっと古い鞦韆に腰掛けた。

そうい えば、いつかこんな話を師匠から聞いたことがあっ た。今の自分たちの村ができるずっと前に、森の民 の集落がこの辺にあったという話を。

そして、今は その集落の痕跡はどこにもないが、子供たちが遊ん だ広場だけは、森の中に残っているという話も。

 

 ふと思い立って、小人の娘は、ポケットから小さ いハーモニカを取り出し、そっと奏で始めた。

その 独特の、どことなく懐かしさを感じさせる音色が、 長い間眠っていたこの森の広場を優しく起こすかの ように、ほんわりと漂う。



 時折、木々の間を抜けて風が舞い込む。鞦韆を支 える錆びた鎖がきしんだ音を添える。

遥か昔に見捨 てられた広場で、こうしてハーモニカを吹いている と、不思議と心が落ち着く気がした。



 空気の湿った匂いに気が付いて、小人の娘は、ハ ーモニカを吹く手をふと降ろした。

先程まで広場を 照らしていた弱い木漏れ日は、いまやほとんどその 光を失い、雲はますます重く、薄暗い森にのしかか ってくる。



(いけない、雨が降りだす前にさっさと帰らなくち ゃ。)

小人の娘は、あわててハーモニカを腰のポケット に押し込み、再び両手に薬草の篭を担いで、森の出 口の方へと駆け出した。

 その瞬間、ポケットから半分顔をのぞかせていた ハーモニカが、突然の激しい動きに耐えられずに、 ぽろっとこぼれ落ちた。

それは背の高い草の間に音 もたてずに転がった。



 小人の娘は、それには全く気付く事無く、今にも 雨が降りだしそうな空の下を、屋根のある家へと駆 けていった。



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