百年の満月 / page10


 初めて出逢った時には束ねられていた髪は、今は彼女の軽やかな動きと通り過ぎる夜 風に、さらさらと揺れる。  くるりと振り返ったその瞳は、まだ細められていたが、すこし真剣な、綺麗な黒を帯 びているように、見えた。  どうして、この『鳥』は、ずっと人の姿のまま、空に還れないでいるのに、こんなに 無邪気で、綺麗な瞳をしているのだろうと、想う。  月時計にもう一度月を点して欲しいと真面目な目で語った、博士のことが頭をよぎる。  結局、何も言葉を返せないまま、僕は舗道に立ち尽くす。  遠くに、先程よりもほんの少し高く、幾つもの街灯の白い光に混じって、満ちた月、 ひとつ。 「助手さんって、優しいんだね。今、ちゃんと本気になって月読鳥のこと、真摯に考え てた。」  何も答えられないままの僕に、不意に目を細めて、『鳥』はクスクスと微笑む。 「……多分、臆病なだけだよ。昔から、そうだった。」  自分に少し嫌気がさした僕は、彼女から視線をそらして、無意識に月を見上げて、ひ とりごとのようにつぶやく。 「鳥は鳥、助手さんは助手さん、だから。でも、優しいのと臆病なのとは、きっと、違 うよ。」     *  月の回転周期に合わせて、真鍮の歯車の回転速度を調節して。  鉱石が蓄える、目に見えないほどに淡い青の光を、細やかな駆動部に繋げて。  自分の研究の合間に少しずつしか手を入れられなかったけど、それでも月時計は徐々 にその機能を取り戻してゆく。  時はあっという間に流れて、小さな田舎街は、もう冬を迎えていた。  相変わらず、研究漬けの日々だったけれど、僕にとっては楽しい日々だった。  その要素の一つに、『鳥』との会話があったことは、否定できないのだが。  月時計は、既に時を刻めるまでに修復されていた。  カチ、カチと、時の経過を告げる規則正しい秒針の音色を聴いていると、この楽しい 日々の終わりがそう遠くないことを、実感してしまう。  それでも、僕は『鳥』を空に還すために、少しずつ月時計を直してゆく。  まだ、彼女の出した問いに対する、解をみつけていないままで。     *




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