百年の満月 / page2


 深い紺色をたたえた硝子製の円い蓋、そして一から十二の代わりに、旧い字体でN、 E、S、Wの文字が四方に描かれた文字盤。  そして中心軸には希少な蒼い鉱石を据え、その周りを幾つかの歯車やぜんまいが取り 巻き、ふたつの針へと繋がっている。  僕は、懐中というにはやや大きい、不思議な意匠の時計を、少しだけ感慨をもってし ばらく見つめていた。 「その月時計、気に入った? 壊れているから、月は映さないのだけど。」  不意に、空のほうから低く柔らかい声が流れてきて、僕はびっくりして硝子箱に向け ていた顔を上げた。 「でも、ごめんね、その時計は売り物じゃないんだ。大事な品物なのでね。」  声の方を見上げると、カウンター脇に隠れていた狭い木製の階段に、女の人がちょこ んと座っていた。  組んだ膝にひじをついて、地軸くらいの角度に首を傾げて、面白そうに僕を見つめて いる。 「……ある人から、この月時計を直して欲しいと、依頼を受けて来たのですが。」  僕は何処か釈明でもするような心持ちで、言葉を返した。何故だか微かな緊張が走っ て、ほんの少し身体が熱くなる。 「ああ、じゃあ君が助手さん、だね。博士から手紙が届いていたよ。月時計を、直させ て欲しいって。」  少し驚いたように目を開いてから、狭い段の上にすらりと立ちあがると、女の人は軽 やかに階段を駆け降りてくる。  飾り紐で無造作に後ろに束ねた、腰ほどまである黒髪が、ふわりと軌跡を描いた。 「じゃあ、あなたが、『鳥』?」  目の前に立った女の人の瞳を見上げて、僕は確かめるように尋ねる。  濃紺のデニムをはいた足はすらりと長くて、瞳の位置も僕よりも数センチ高い。  女の人は、髪と同じように黒いその瞳を一瞬きょとんとしたように開いて、それから 悪戯っぽく微笑って、ふわりと細める。 「博士が、そう言ってたんだ……面白いね。じゃあ、それがわたしの呼び名。君は『助 手さん』で、いい?」     *




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