百年の満月 / page4


 月読鳥の民とは、遠い昔、北の国に住んでいた民で、鉱石工学でも、月に関わる鉱石 の分野の研究者の間では研究対象の一つとされている。  彼らは、本来は空を渡る鳥の一族なのだが、冬の間や月の触の前後には、人間の姿を 取って人里で暮らす。  そして、鳥の姿と人の姿の変化、空へと飛び立つ時とその道しるべ、そんな月読鳥の 民の生命の全てを司るのが、月時計と呼ばれる懐中時計だと言われている。  彼らは、子供が生まれると、その子供のために月の鉱石を掘り出し、祈りをこめて、 その鉱石を動力にした時計を創る。月時計は、天空の月の満ち欠けや影の力を映しだ し、彼らに旅を続ける力と導を与える。  だから、一人の月読鳥の民に、一つの月時計。この絆は、彼らの生命と暮らしを、月 が刻む時の旋律に繋ぎ止める礎のようなものだった。  だが、そんな彼らの礎が、やがて彼らの平和な暮らしを脅かすものを生む、格好の餌 となってしまった。  その希少で工芸品としての価値も高い月時計や、月読鳥の民自身が持つ工芸の能力。  それは欲の深い人間に狙われる羽目となり、やがて彼らは、月が灰色の雲に覆われる ように、歴史の流れの中で姿を消していった。 「あの街の、とある骨董屋に、ひとつ、壊れた月時計が眠っている。」  何だか講義のようだと思いながら、私がかいつまんで月読鳥の民の伝承を答えると、 博士は静かにうなずいて、話を続ける。 「私は若い頃、君と同じようにその街に留学に行ったのだ。そこで、数少ない月読鳥の 民に出逢った。」 「綺麗な、純粋な瞳をした、まだ若い娘だった。……その不思議さ、純粋さに惹かれ て、私は彼女に恋をした。」  僕は、博士が語るとんでもない話に、驚いて博士の目を見つめた。その瞳には、あの 悪戯っぽい輝きはなく、真剣な色が宿っている。 「月読鳥の民は、月時計が時を知らせたら、本来の姿に戻って遠く旅をする。だが私 は、彼女を空へと還したくなかった。ずっと人の姿のままで、側にいて、欲しかったの だ。」  その、僕の視線を避けるように、博士はコーヒーカップを机に置き、立ちあがってく るりと後ろを向く。  微かに、煙草に火を点す音が、聞こえた。 「だから、愚かな私は、月時計を壊した。……そうして、彼女は翼を失って、今もあの 頃の姿のままで歳を重ねながら、街に住んでいる。」 「……また、ご冗談を。留学の餞別に、とっておきのほら話を贈ろうと思っても、今度 ばかりはそうはいきませんからね。」  僕は、背を向けたままの博士に、やや場の雰囲気に押されながらも、疑いの言葉を投 げかける。  これまでだって、真面目そうに見せかけておいて、心の中ではあの悪戯っぽい表情を こらえていたことだって、度々あったのだから。 「確かに私は、いつも君に冗談を言って楽しんでるのは認める。だが、これから言うこ とだけは、真面目な、真実の頼みだ。」  だが、博士はくるりと振り向いて、静かな口調で僕の疑いの言葉を一蹴した。 「月時計を、直して欲しい。もう一度あの時計に、月を灯して欲しい。」      *




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