百年の満月 / page8


「あれ、助手さん、知らなかった?」  この地方はかつては多くの月読鳥の民が住んでいたらしく、調べてみるといろいろな おとぎ話や伝承が今でも残っていた。  博士が話したのと全く同じ内容の、人と月読鳥の民の悲しい恋の話もあって、幾つか は芝居となって今も演じられているとのことだった。  『鳥』は骨董屋の帰り道、僕は食料の買い出しへと、二人で研究棟を出た時にそのこ とを話したら、彼女は意外そうな顔をした。  もう藍色に染まりかけた空、冷たい夜風のきざし。この地方の秋の夕暮れはずいぶん 早い。  東の空には、微かに赤い、満ちた月が昇り始めていた。 「この街じゃ、結構人気あるんだよ。私のおばあちゃんなんか、月読鳥の娘の役を演じ たらこの地方でトップだって、有名だったんだから。」  話から、彼女の祖母は、人の姿をとった時は女優をやっていたのだろうと推測できた。 まあ、本物の月読鳥の民なら、演技も真にせまるだろう、けど。 「私だって、大学の演劇部で、月読鳥の娘の役、演ったことあるんだよ。歌も、歌ってね。」 「あ、そう……。」  誇らしそうに言う彼女に、僕は生返事を返す。頭の中では、全く別のことに想いを巡 らせていた。  彼女の祖母は、月時計を壊されて鳥に戻れなくなった娘を、どんな想いで演じたのだ ろう、と。  「あ、助手さん、その顔は信じてないな。」  ところが、彼女はそんな僕の態度が不満だったらしい。  少し怒り加減で僕にこう言ったと思いきや、急に地面に荷物を置いて、すっと立ち、 小さく呼吸をする。  そうして、人気の少ない大学の中庭で、ふわりと舞いながら、歌をうたう。        終わりの来ない夜を 願う恋人たちの    瞳はとても小さな 月でできてるね    まばたくたび満ちてゆく すべて忘れないために    あたたかく薫る闇を やさしく照らすために    百年が過ぎ 全て消えても    僕の想いこめて その月は昇るよ    青く水に沈んだ 庭にたたずんで    あなたを抱き寄せたなら 開いてゆく夜    指先はいつも脆い カタチなぞるだけ けれど    確かなものはすぐに この手を離れるから    夜の光に 浮かびだすもの    それだけを信じて あの月は昇るよ  中庭に灯りはじめた街灯の白い燈が、舞いながら歌う『鳥』を照らして、地面にしな やかな影法師を描く。  もう、永い時を人の姿のまま過ごして、空に還れないままで、いるのに。  夕刻の中庭に高く響く彼女の歌声は、無邪気で、力強くて、悲しみを感じさせない。  それが、僕の瞳には、よりいっそう切なくて、綺麗に映った。




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