北の山々を越えて吹く、凍てつく様な夜風が、詩人の後を追う様に吹
き付けてくる。厚い衣服を貫き通すその寒さに凍えながら、詩人はふう
っとため息をついた。深い闇の中に、真白い吐息が一瞬かげろうの様に
浮かび、溶けて消える。


(やれやれ、困ったなあ……。あの雪さえなければ……。)
  今日の行程を思い出すにつけ、ついついため息が漏れてしまうのを詩
人は止める事ができなかった。
  北の山地越えの際に、まるで詩人を拒むかの様に降り始めた、この冬
初めての雪。それは次第に強い風とともに勢いを増し、詩人の足を鈍ら
せた。


  旅路はいっこうにはかどらず、そのため詩人の心積もりでは昼過ぎに
村に入って、自慢の歌で一稼ぎして冬至の祭りを楽しむ予定だったのに、
実際に村に入った時には、祭りの色とりどりの灯はとうに燃えつき、僅
かなくすんだ残り火が、弱々しく瞬くばかりであった。


(そして、泊る場所にも困るありさまって訳だ。)
  冷えきった足を何とか前に進めながら、詩人は思わず苦笑いをこぼし
た。村の宿はどこも、既に祭りを楽しみに来た近隣の人々で一杯で、そ
の食堂も、寝るどころか座る場所さえ無いありさま。普通の民家は、ほ
とんどが楽しみ疲れたその住人を寝床に迎え入れ、その灯をとうに消し
ていた。


  泊めてくれる家を見つけることのできないまま、詩人の歩く道はとう
とう村の外れにさしかかっていた。次第に行く手に家は無くなり、代わ
りに闇に包まれた広い畑と、それに混じる半ばその黄色い葉を散らした
広葉樹が増えてゆき、夜風に枝をたわめ、残った葉をさらさらと鳴らす
音が、夜の静寂に割り込んでくる。


(村に戻って、起こされても旅人を泊めてくれる、親切な家を探すしか
ないか。)
  そう思って、詩人が再び村の方へと足を向けようとしたちょうどその
時ふいに、ざわめく木立の間から小さな暖かな明りが漏れ出しているの
が見えた。その光は、冷えて疲れきった詩人にとって、あたかも自分を
招き迎えてくれるかの様に、優しく柔らかく映った。


  詩人は、明りに引き寄せられる様に木立の中へ入って行った。歩みを
進める度に、眠る地面を覆う枯葉達がさくさくと、一定のリズムの和音
を鳴らす。


  その木立は不意にとぎれ、やがて小さな畑に出た。畑は小さいながら
きれいに手入れされ、弱々しい星の光を受けて、いまだ収穫されずに残
った遅咲きの野菜達が、微かに輝きを返している。そして、その畑の先
に、あの暖かな明りを灯した小さな家が見えた。


  その家は、木製のさっぱりとした小さな平屋で、高原の地方の農家を
思わせた。円形にしつらえられた窓からは、詩人を招き寄せた暖かい光
とともに、ほのかに何ともいえぬ香しい匂いが漏れ出している。その窓
のわきに、小さなつり看板が下がっていた。その看板には、白い文字で
こう書かれていた。

    『INN  実りの秋亭』

(こんな所に宿が……?)
  詩人は、ちょっといぶかしく思いながらも、食欲をそそる香りに惹か
れ、とうに冷えきった体を暖める火と寝床を想像して、その扉を叩いた。
暫くの間の静寂。


「はい……?」
  扉が開き、室内の暖かい空気がふんわりと流れ出る。その開いた扉の
隙間から、若い婦人が顔を覗かせて応えた。
「あのう、ここは宿屋、ですか?もし空いてなかったら納屋でも何処で
もいいから泊めていただきたいのですが……。」
  ちょっと戸惑いがちに尋ねる詩人。その寒そうに身を縮める様子に、
くすっと笑みをこぼして婦人は応えた。
「お部屋は空いておりますよ。ようこそ、『実りの秋』亭へ。」





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