そら とぶ ゆめ Epilogue  ふたりの記憶[Man&Iron] / page3


 観測所の塔の最上階のテラスで、初老の風読みは、娘が燈していった『あかり』を、 そっと切った。  見渡すと、昨日までは冬の冷気に乾いていた大地が、一面薄い翠色に包まれている。  眼下にたたずむ小さな村からは、永い不安の日々も過ぎて、新しい季節を迎えた喜び に、早くもさざめき始めているのが、聞き取れる。  その中に、風読みの心に遠く聴こえる、澄んだ『機械技師』の歌声、そして、水色の 月を介さない、娘の言葉。 「……『機械』達の方が、僕よりも正しかったとは、想いもよらなかったな。」  円形のテラスを吹き抜ける、さらさらとした風に目を細めて、風読みは呟く。 「……まさか、るなが、僕と同じように、遠い昔に飛空兵として空を飛んでいたとは、 想わなかった。」  そのまま、風が髪を揺らすに任せて瞳を閉じて、『機械技師』のうたを聴きながら、 遠い昔のことに想いを寄せる。  名前を教えなかった自分に、『風読み』という名前を与えてくれた、攻撃機の、こと。  撃墜された時に、懇願に折れて本当の名前を教えて、別れたきりになった、空を飛ぶ 『機械』の、こと。  気が付いたら、自分はこの別の時間、別の世界へと、墜ちていた、けれど。  『機械技師』のうたを聴きながら、そのまま、風読みは懐かしい『機械』のことを、 想う。    重いオイル差しながら 彼の作った錆びたロボット    草が揺れる丘の上 ふたり座って思いめぐらす    大空駆けめぐる 自由だった若い日を    大きな風を切る 翼だったあの日々を  海からは、遠く、遠く離れた、村はずれの誰もいない小さな草原。そこにただひとり 立つ、大きなにれの樹の前で。  さらさらと、草達を揺らす暖かい風の中に、ふと、懐かしい歌声を聴いた、気がして。  人型の『機械』は、その透明な硝子の瞳を、優しい朝の空のような蒼色に、微かに明 滅させた。  自分を構成する、回路と部品の幾つかが、うたを憶えていた。  墜ちて壊れて転がっていた所を、拾われて、人型の『機械』の部品として組み込まれ た時から遡って、ずっと昔のこと。  その部品達が、空を駆ける『機械』の、翼だったころに、聴いた、うた。  自分が『風読み』と名付けた、飛行機乗りの若者。  彼は、敵機を墜とす度に、淋しそうに、うたを歌っていた。自由に空を飛ぶことに、 憧れて。  そして、もうひとりの、いつも遊びに来てくれた翼を持つ民の、少年のことを、想い だす。  自分と同じように、遠い昔、別の世界で、空を飛ぶ『機械』だった、少年のことを。  樹を護るように立ったまま眠る、『機械』の時間は、ゆっくりとゆっくりと流れてゆく。  ふたりの記憶を、のせて。  傍らに、立てられた円筒形の金属缶には、あの少年が差して残した、ひとひらの真白 い羽が、さらさらと風になびいて、揺れている。    時は流れてく ふたりの記憶を    のせて流れてく    時は流れてく    うたを歌い終わって、『機械技師』は淡い春の空気を胸一杯に吸いこんだ。  そうして、一面の草原の中を、ひとりで、旅を続ける。鳥のように、空を駆ける翼は ないけれど。  この世界中に残って眠る、『機械』達。その『機械』達に届けた、大切な、大切な、 言葉達。  『機械』と言葉が紡いだ、いくつもの、うた。繋がったうた、繋がらなかったうた。  そんな『機械』のうたを、金属でできた小箱に集めて。  『機械技師』は、たったひとりで、世界に足跡を残して、歩いてゆく。  遠い、遠い、月の扉を抜けた向こう側の世界へと、『機械』のうたを、届けるために。                                    Fin.




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