Moon Song / page13


 もう追いかけてこないと判って、私達はようやく息を切らしながら舗道にへたり込み ました。  ふたりとも、まだ深い闇をたたえたままの夜空を見上げて、少し笑いながら。 「私、きっとただ忘れていないだけじゃないと、思う。」  まだ切れ切れの息をつきながら、ふと、私はミチルにつぶやきました。 「きっと、見えなくても、電波みたいに遠く遠くおつきさまから届いてくるの。だから きっと、今でもおつきさまと一緒に咲けるのだと、思う。」  そんな私の、唐突なつぶやきを耳にして、しばらく不思議そうな表情をして。  嬉しそうに軽くうなづいて、ミチルはこんな風に応えたのでした。 「わたし、おつきさまって、うたうことと同じくらい、ずっと好きだったんだ。」  そうして、私を見つめて、優しくふわりと微笑んで。 「ちーちゃんも、きっと、わたしの大切なおつきさま、だよ。」     *  ミチルのおつきさまのこと、どうして、忘れてしまっていたのだろう。  そう、そっとため息をついて、幼い記憶の淵から我に返った時。  気がつくと私は、深緑色の葉でできた、記憶と全く同じ生垣の前に立っていました。  たぶん、私があの夜の散歩道のことを思い出しているうちに、無意識に憶えていた道 筋をたどって、ここまできてしまったのでしょう。  慌てて逃げ出した、あの夜の記憶が心を掠めて、私は一瞬ためらいました。  でも、おつきさまを見に行ってくる、というミチルの伝言が、私に逢うことではない としたら。  後は、この植物学者さんの、おつきさまと一緒に咲く花しか、ありませんでした。  あの花と一緒に、ミチルが待っているかもしれない。  そう言い聞かせて、私はこっそり植物学者さんの庭園に忍び込んだのでした。  あの夜、ミチルに手を引かれてくぐった入り口を、いまはただひとりで通り抜けて。  ほんの微かに茜色が差しはじめた午後の陽を受けて、ちいさな草花達が色とりどりの 花を咲かせていました。  薄紅色、淡い明け方の空のような菫色、微かな桃色を帯びた、淡い白。  どれも、この移民星の土地では見ることのない、忘れられた遠い昔の草花達。  まるで、忘れられてしまった、きれいな記憶が流れ着く場所のように、草花達はこの 植物学者さんの庭園で、時間を越えて花開いているのでした。  そんな華やかな庭園の片隅、記憶と同じ場所に、あのおつきさまの草花が数輪、淡い 緑色の茎を天に伸ばして佇んでいました。  でも、あのほのかな明かりを燈すおつきさまの花は、閉じていて。  やっぱり、そこにもミチルの姿はなかったのです。 「ミチル、ひとりで何処に行っちゃったの……?」  私はぽつりとつぶやいて、おつきさまの花の前にしゃがみこみました。  まるで、夜道でおつきさまを見失ってしまった迷子の様に、心細くて。  そうしてずっと、開かないおつきさまの花のつぼみを、見つめていました。  この花が、あのやわらかい灯りを燈せば、ミチルが来てくれる、そんな気がして。




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