もう追いかけてこないと判って、私達はようやく息を切らしながら舗道にへたり込み
ました。
ふたりとも、まだ深い闇をたたえたままの夜空を見上げて、少し笑いながら。
「私、きっとただ忘れていないだけじゃないと、思う。」
まだ切れ切れの息をつきながら、ふと、私はミチルにつぶやきました。
「きっと、見えなくても、電波みたいに遠く遠くおつきさまから届いてくるの。だから
きっと、今でもおつきさまと一緒に咲けるのだと、思う。」
そんな私の、唐突なつぶやきを耳にして、しばらく不思議そうな表情をして。
嬉しそうに軽くうなづいて、ミチルはこんな風に応えたのでした。
「わたし、おつきさまって、うたうことと同じくらい、ずっと好きだったんだ。」
そうして、私を見つめて、優しくふわりと微笑んで。
「ちーちゃんも、きっと、わたしの大切なおつきさま、だよ。」
*
ミチルのおつきさまのこと、どうして、忘れてしまっていたのだろう。
そう、そっとため息をついて、幼い記憶の淵から我に返った時。
気がつくと私は、深緑色の葉でできた、記憶と全く同じ生垣の前に立っていました。
たぶん、私があの夜の散歩道のことを思い出しているうちに、無意識に憶えていた道
筋をたどって、ここまできてしまったのでしょう。
慌てて逃げ出した、あの夜の記憶が心を掠めて、私は一瞬ためらいました。
でも、おつきさまを見に行ってくる、というミチルの伝言が、私に逢うことではない
としたら。
後は、この植物学者さんの、おつきさまと一緒に咲く花しか、ありませんでした。
あの花と一緒に、ミチルが待っているかもしれない。
そう言い聞かせて、私はこっそり植物学者さんの庭園に忍び込んだのでした。
あの夜、ミチルに手を引かれてくぐった入り口を、いまはただひとりで通り抜けて。
ほんの微かに茜色が差しはじめた午後の陽を受けて、ちいさな草花達が色とりどりの
花を咲かせていました。
薄紅色、淡い明け方の空のような菫色、微かな桃色を帯びた、淡い白。
どれも、この移民星の土地では見ることのない、忘れられた遠い昔の草花達。
まるで、忘れられてしまった、きれいな記憶が流れ着く場所のように、草花達はこの
植物学者さんの庭園で、時間を越えて花開いているのでした。
そんな華やかな庭園の片隅、記憶と同じ場所に、あのおつきさまの草花が数輪、淡い
緑色の茎を天に伸ばして佇んでいました。
でも、あのほのかな明かりを燈すおつきさまの花は、閉じていて。
やっぱり、そこにもミチルの姿はなかったのです。
「ミチル、ひとりで何処に行っちゃったの……?」
私はぽつりとつぶやいて、おつきさまの花の前にしゃがみこみました。
まるで、夜道でおつきさまを見失ってしまった迷子の様に、心細くて。
そうしてずっと、開かないおつきさまの花のつぼみを、見つめていました。
この花が、あのやわらかい灯りを燈せば、ミチルが来てくれる、そんな気がして。
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