Moon Song / page14


「……そこで、何をしている。」  ずいぶん経って、低い不機嫌そうな声を背中にかけられた時も、私は逃げもせずにじ っとつぼみを見つめ続けていました。 「ここの花を安易に摘まれては、困るのだ。摘んだ所で、この草花達はこの庭園の土に しか適応できない。ここから離しては花が可哀想だ。わかるか?」  ますます不機嫌そうに、無愛想なその声はそう続けました。  何も応えない私に、どことなく困ったような風情で。  そこでようやく、私は植物学者さんに気づいて、顔を上げました。  情けないことに、おつきさまに逢えないさびしさに、頬を濡らしながら。 「何故泣いてるのだ……? と、取り合えずこちらに来なさい。茶くらいなら出してや るから、ほら。」  今思うと、突然自分の庭園でしゃがみこんで泣いてる私を見て、植物学者さんはさぞ かし困惑したのだろうなと、思います。  植物学者さんが淹れてくれたお茶は、それまで味わったこともない、何処か若くてふ んわりと甘い風味がしました。  その優しい味に、少しだけほっとしながら、私は申し訳ない気持ちで、横目で植物学 者さんをちらりと見ました。  そんな私の視線を知ってか知らずか、やれやれといった風情で、不機嫌そうな顔のま ま自分にもお茶を注ぎながら、植物学者さんはぽつりとつぶやきました。 「珍しいな、咲いている草花には目も止めずに、月読草だけに惹かれる者がふたりもお るとは。」 「ふたりって、ミチル、ここに来たんですか?!」  何気ない植物学者さんのつぶやきに反応して、私は思わず叫びました。 「……一体、何のことだ?」 「……子供の頃、ミチルという私の友達が、おつきさまを見せてあげるといって、真夜 中にこの庭園に忍び込んで、おつきさまと一緒に咲く花を見せてくれたんです。」  私の告白に、軽く咳払いを返す植物学者さん。そんな様子に少し身を縮こまらせなが ら、私は先を続けました。 「そのミチルが、『おつきさまを見に行ってくる』と伝言を残して姿を消してしまって。 だから、ここならばミチルがいるかと思って……。」  眼鏡の淵を直して、ふむ、とあごに手を当てて、黙り込んでしまった植物学者さん。  その沈黙が何だか心苦しくて、私はぽつりとつぶやきました。 「あの……、ご迷惑をおかけして、すみませんでした。」  そんな私の言葉など耳に入らぬ風情で、しばらくそのまま考え込んでから、植物学者 さんは突然何かを紙片に書きはじめました。  一心に何かを記している紙片をちらりと覗き見ると、どうやら地図のようでした。 「この庭園に咲いている月読草は、研究のためのものだ。譲ることはできない。」  書きあげた地図を私に差し出すと、急にこんなことを話し始めました。 「月読草は本来この移民星には咲かないが、唯一、海岸の傍らなら咲く可能性がある。 故郷の星に打ち寄せる海の波は、月の周期の影響を受けていた。きっと同じ月に属する ものとして、海と月読草は波長が合うのだと、思われる。」  何処か、まるで学舎での授業みたいな口調で、早口で話す植物学者さん。  私は、地図を手にしたまま、少し首を傾げつつその言葉を聞きとめました。 「この地図に示した海岸は、月読草の育成環境にもっとも近い。あるいは、帰化した野 生の月読草の花を、得ることができるかもしれない……おまえの運が良ければ、だが。」  そう締めくくって、何故か、植物学者さんは立ちあがって私に背を向けました。  そうして、ぽつりと、こう付け加えて。 「……友達に月読草を贈りたいと言って、先日ここに来た娘に、そう話した。」




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