螺旋の樹の物語 Rail 1 Station 1

夜毎、神話が生まれ変わるところ



  人工の光に照らされた砂丘の影の脇をかすめる様に、二本のレールを道標に、電車は相変
わらず音も無く丘陵を降りてゆく。

  車窓を舞台にして戯れる闇の舞踏にも飽きた僕は、もう一度彼女のプレートを見ようと鞄
を開けた。

  そのまま駅に駆け込んで最終の長距離電車に乗ったので、彼女の便りの他は僕の鞄の荷物
は研究室を出たときのままである。数枚の研究資料のディスク、合成繊維の白衣、そして蝶
の標本。


 ふと、僕は彼女のプレートの代わりにその古代の生物の標本を取り出した。
  箱の中に均等の間隔を保って並び、遥かな過去の追憶を夢に見つつ永遠の眠りに封じられ
た、絶滅した生物達。かつて天を舞っていたというその薄い羽の一筋一筋に湛えた、山吹、
濃紺、深緑、そして数多の色彩。
 その鮮烈さは幾百の年を経た今となっても褪せることなく、むしろ今だからこそ見る者を
魅了する。その繊細にして鮮烈な過去の生物に魅了され、僕は古代生物学に身を投じたのだ。



「この綺麗ではかない羽で、野原や森を舞っていたのね。」

  蝶の標本を初めて見せた時、彼女はしばし言葉を失った後にこうつぶやいた。
「僕には想像できないよ。まるでお伽話か神話の様だ。」
  これはあの時の僕の正直な感想だった。僕には「森」という言葉がどんな環境を表すのか
すらイメージできなかった。
 古代植物学者であり「森林学者」を自称する彼女に言わせれば、「一般的には」との注をつ
けた上で、「樹々が密生し生命の営みを包み込む生体圏」だというが、そもそも樹すら現在で
はわずかな数しか生存してはいないのだから。

「そう?私には見える様な気がするの。耳を澄ましてみると。」
 彼女は、標本から何かを聴き取るように一瞬瞳を閉じて耳を傾けた後に、肩で切りそろえた
栗色の髪をふわりとなびかせて僕に快活そうな笑顔を見せて言った。

「だって、ずっと繋がってるのよ。神も蝶も、今の私達も。神話っていうのは正しい表現かも
しれないわね。」

  そして奇妙なアクセントで、急に謎めいた言葉を口から紡ぐ。


    帰らない 大地開く 鍵が導く その先は
    夜毎に 生まれかわる 神話が たどりつくところ


  彼女には奇妙なくせがあった。時折、幾つかの言葉の組み合わせを、奇妙なアクセントを付
けて唱えるくせが。端から見ると変ではあるのだが、不思議とその言葉は僕の脳裏に残ってい
る。

  彼女は学者に似合わないほど快活で、いつも笑顔でそれこそ跳ねまわってた、という表現が
似合っていた。そんな陽気さと不思議さを持ち合わせた彼女と、あの頃はいつも一緒にいた気
がする。

 特に恋人、というわけでは別になかった。でも、彼女といると何処か安心して歩んでこれた
様に思う。あるいはあの頃の僕達にとって、この状態は当たり前のものになっていたのかもし
れない。


  そう、ちょうど今この電車が走っている二本のレールの様に。

  ずっと平行に、近づくことなく同じ方向へと伸びる道。
  多分、レールも僕たちも、それが「自然」な形だったのだろう。




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