螺旋の樹の物語 Rail 1 Station 3

ガラスの森


                                              
 二杯目のコーヒーを飲みながら、暫くの間近況や研究室の思い出に花を咲かせてしま
った。どうも数年の時くらいでは、この人は変わりようがないらしい。五十路を越えて
きれいに染まった灰色の髪に一見厳格な研究者めいた顔。その容貌と口癖から、学生か
ら恐れられることも多いが、その瞳にはしばしば子供っぽさを覗かせる。


 実は、慣れてきてよく見てると、教授が「ばかもん」と言う時の半分以上のケースで、
目の奥で密かに笑ってるのが覗えるのだ。

 その悪戯っぽいところは、彼女に似ていないこともない、と思う。事実、教授と彼女
はすごく気が合っていた。



 ふと会話が途切れて訪れたひとときの沈黙。その後で、不意に教授はこんなことを切
り出した。

「古代生物学で、遺伝子、ってあるのはわかるよなぁ?」


 いきなりの話題の転換にとまどいつつ、僕は、そりゃあ、と応える。教授はふむ、と
軽く頷いて先を進める。

「彼女が、樹の保存室のドアにつけたパスワードは何だった?」

「rasen……螺旋、ですか。」


 教授はまたふむ、と頷いて、だいぶ冷めた残りのコーヒーを少し口につける。

「彼女はよくあの樹のことを「螺旋の樹」って呼んでたが、あの螺旋ってのは遺伝子の
ことなんだな。」


 僕は教授の脈絡のない話に首を傾げるばかりだった。そんな僕を無視して教授は立ち
上がって続ける。

「つまり、あの樹は「二重螺旋の樹」ってわけなんだな……と言う訳で、そろそろもう
一度樹に行ってみたほうがいいんじゃないかな。」

 話がそこに戻ってきて、僕は急に彼女に会いに来たことを思い出した。鞄を持って慌
てて立ち上がる。


 モリザワ教授の動く気配がないのを感じて、振り返って訊ねた。

「教授は、行かれないんですか?」


「僕は、もう一人でも聴こえるからな。」


 相変わらずよくわからない突飛なもの言い。だが教授のこの言動にももう慣れていた
ので、この時はそのまま聞き流していた。


 部屋の去り際に、教授がもう一声かけてきた。

「あるいは、彼女も金髪の美女とかに生長してるかもしれないけどな。」


「……教授にしては、悪意のない無意味な冗談ですね。」

「ばかもん。」
 モリザワ教授の目はやはり笑っていた。





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