螺旋の樹の物語 Rail 1 Station 3

ガラスの森


                                              
 部屋に残った教授と別れて、再び保存室の扉に向かう。

 微かに、扉の奥の方から、物音が聴こえてくる。空気と、声とを紡いで流れてくる言
葉が。


   lai lai son went to glass forest
   lai lai Mom she's sad ...

 
 先程ここに駆け付けた時と違って、不思議と水面にたゆたう様な静かな心持ちで、僕
は彼女の残した扉の鍵を入力する。それは、樹と僕を、僕と彼女を、レールとレールを、
二つのものを繋ぐための五つのアルファベットで綴られた言葉。


 繋がれた扉の奥のガラスの森は、短い時間で僕の心の傾斜と同じ様にすっかり変わっ
ていた。

 保存室に、この夜ずっと僕と一緒に歩いてきた満ちた月が、待っていたかの様に佇ん
でいる。

 幾つもの矩形の硝子が複雑に織り成す保存室の天井が、降りてくるその輝きを拡散させ、
室内を色とりどりの真白い光で照らしている。先程までは視覚にとって唯一の便りだった
足元の淡い夜間照明が、今は逆に影を呼び込む暗い生物のよう。


 その降り注ぐ月の光に、「螺旋の樹」はその永く生きた身をさらさらと洗っていた。


  ひかりがふるえている さざめく未来で
  だれかが呼んでいる ガラスの森から


 玻璃で覆われた夜天へと伸びる常緑の腕。さらさらと葉ずれの音を立てるその指は、
久しく浴びることのなかった光のせいか妙に若々しく見える。

 その枝々を支える幹はさほど太くはなく、何処か弱々しくさえ思える。それでもその
身のうちに刻まれた幾重もの細い年輪は時を越えて今もこの保存室でその身体を真っ直
ぐに支えている。


 そして、先程夜間照明で微かに見えたその根の源に。

 あながち、教授は無意味な冗談を言っていたわけではなかったらしい。

 金色の髪の娘が、「樹」に持たれかかって歌を歌っていた。

 その月色の瞳から静かな涙を湛えて。


  時間より遠くから 哀しみだけ見つめてる
  記憶より遠くから 哀しみだけ見つめてる





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