螺旋の樹の物語 Last Station

遠い音楽


  遠い音楽

                                              
 僕は、背の高い「樹」の真下で彼女の小箱を手に取った。僅かな装飾の施されたその
蓋は、未だかたく閉ざされていた。

 木で組まれた箱の手触りは、微かに暖かく感じられる。まるで、ずっと昔生きていた
時の樹の体温が残っているように。

 その微かな温度と一緒に、ゆっくりともう一つの意識が僕の中に流れ込んでくる。今
度は先程まで夢のような途切れ途切れの感覚ではなく、静かに、はっきりと。


 それは、一度も会ったことのないもう一本のレール、あるいはもうひとりの僕の意識。
 それは、ただ自分の師匠に会いたくて、月明かりの下レールを歩いてきた小人の娘の
意識。


    *

   lai lai son went to glass forest
   lai lai Mom she's sad ...


 何処からか、師匠の歌が流れてくる。
 時間より遠く、記憶より遠くから、二つのレールの間に敷かれた樹を伝わって。

「師匠……?」
 起こされたような、あるいは誰かに呼ばれたような気がして、小人の娘はまだ夢見心地で
目を覚ました。

 体の中には、車体を軋ませて走る電車の心地よい振動と、もたれ掛かって眠った彼女のほ
のかな体温が残っている。けれども、あの月明かりの駅で出会った彼女も、その駅で二人を
乗せてレールの上を走った電車も、小人の娘が眠っている間に既に姿を消していた。

 代わりに、周囲には目をみはる様な光景が広がっていた。

 
 目前に、数十、もしかしたら数百本の樹が地に根をおろし、その枝葉を繁らせている。そ
れぞれの樹が夜天へと指し伸ばしたその枝は互いに交差し合い、まるで建物を形づ作る鉄骨
の様に頭上に広がっている。そしてその組まれた天井は無数の緑の葉で覆われ、あたかも翠
色のドームに居るかのようだった。

 しかもそのドームには、無数の、密やかな生物たちの息づきが満ちていた。茂みの微かな
ざわめき、枝の間をぬって走る風に乗った虫の羽音や声、何処かを流れる水の音。

 それらは翠の闇の中で、何処か不気味で人を怯えさせるような、それでいて妙に安心させ
るような奇妙な空気をはらんでいる。

 もし、葉の隙間から差し込む微かな光が存在しなかったら、おそらくこの空間が、樹が生
んだ翠色のドームであることすらわからなかっただろう。緑の闇の向こうには、相変わらず
何処からか月が輝いていた。

 
 だが、小人の娘はそんな樹々の織り成す空間には別に驚きを表さず、ただ目の前の枯れた
葉で覆われた地面をぼんやりと見つめていた。

 視線の先には、今度はほのかに黄金色の光を返している、二本のレールが轢かれていた。
それは黄や橙に色づいて降り積もった枯葉の毛布に時折潜りこみながら、さらに樹々の奥へ
と続いていた。





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