螺旋の樹の物語 Last Station

遠い音楽


                                              
「いっちゃったのかな。」
 そう呟いてようやく目の醒めた小人の娘は立ちあがった。

 その勢いで、娘の小さな肩から、体に掛かっていた微かに暖かい何かがふわりと舞い
落ちた。

 驚いて、娘は枯葉の地面に落ちた物を拾い上げた。それは弱い光に照らされて真白く
見える布地だった。

 小人の娘は拾った物を、そっと、強く、抱きしめて一言だけ呟いた。
「おねえちゃん……。」


 それは、彼女があの駅で身に纏っていた、研究室の白衣だった。


  時間より遠くから 哀しみだけ見つめてる
  記憶より遠くから 哀しみだけ見つめてる


 その時、今度ははっきりと、森の娘の歌声が聴こえた。遠い何処かから哀しげに響い
てくる、師匠の歌声が。

 小人の娘は、息を潜めて耳を澄ませた。樹々の隙間を通って届く歌声の源をつきとめ
ようと。

 やがて得た結論は、小人の娘の決断を一瞬迷わせた。

 歌声は、月明かりの輝く方向から流れてくるように聴こえた。今までずっと娘が一緒
に歩んでいた、二本のレールの行方からではなく。

 小人の娘は、彼女の白衣をそっと身に纏った。小さな彼女にとって、それはマントの
様に大きくて、裾が地面をひきずりそうになった。

 そして、もう一度二本のレールの先を見やった。二本のレールは、相変わらず同じ間
隔を保ったまま、緩やかなカーブを描いて、遥かな先へ伸びている。

「だいじょうぶ。」
 誰へともなく宛てた想いの語尾は、問いかけの様にも、断定の様にも響いた。

「師匠、今行きますからねっ!」
 その直後、小人の娘は叫ぶと、二本のレールと別れて走り始めた。

 月の灯が見守る、暗い翠の森の間を走る、娘自身のレールの上を。


 多分、レール達とあの木製の電車は、ここが娘にとっての自分達の終着駅だとわかっ
ていたのだろうと思う。





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