螺旋の樹の物語 Last Station

遠い音楽


                                              
 ちらちらと淡い照明が瞬く、暗緑色のトンネルの中を小人の娘は走っていた。視界の
両端を、黒々とした影を刻む幾多の樹が駈け去ってゆく。

 最初のうちは、ただ森の娘の言葉が紡がれてくる方向に無意識に足を運んでいた。明
滅するように葉の間から差し込まれる月の夜間照明だけを頼りにして、不安な森の闇の
息づかいの隙間を通って、時折悪意ある悪戯のように差し出される根をよけながら。


 ただ師匠に会いたくて。師匠の歌声に届きたくて。


 肩に羽織った彼女の白衣も、娘には大きすぎて駈ける妨げとなっていた。度々繁みの
枝に引っかかりかけたり、足に巻き込んで転びそうになったり。

 けれど、小人の娘は彼女の白衣を決して脱ごうとはしなかった。


  一度迷い込んだら つま先は消える
  その扉は外へは 開かないから


 ずっと走っているうちに、娘はふと奇妙な感覚を覚えた。
 隙間風が一瞬吹きぬける様に、何故かこの場所を知っているような気が心をよぎった
のだ。

 その感覚は次第に強くなっていった。

 まず、足がその変化に気づいた。先程まではあぶなかっしい足元で、根やくぼみを避
けながら走っていたのが、だんだんとスムーズに走れるようになった。

 まるで、この森の何処に何があるかを無意識のうちに知っているように。

 それから、意識がその感覚についてきた。左右に流れる光景が、不安な夜間照明の長
いトンネルを抜けて、馴染みある夜の庭の中に抜けたような、確かな感覚。
(この森って、もしかして……)


 小人の娘がその感覚を確信した瞬間と、森の娘の歌声が静かにやんだ瞬間、そして小
人の娘が終着駅についた瞬間は、全く同一の時間の線上にあった。

 娘の目の前、大きな樹の元に、護られる様にして小さな家が佇んでいた。


「……帰ってきちゃった。」





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