螺旋の樹の物語 Last Station

遠い音楽


                                              
 彼女と森の娘の、高く澄んだ声に一定の時を刻む様に、りん、りん、と、合成水晶が
はじけるような音が、辺り一面に鳴り出す。

 何かが、頭にふわりと当たったような気がして頭上を見上げた僕は、思わず息を呑ん
だ。

 月を通り抜けて、光る粒子がゆっくりと降ってくる。荒地にごく稀に訪れる雨の様に、
だけど雨よりはゆっくりと。


 僕と小人の娘の手にした小箱から昇っていた、歌の粒子達。それが、繋がった扉を抜
けて二つの世界に交わって降り注ぐ。

 降りてくる光が、硝子の天井に、広場のベンチに、地面に当たる。その度に、りん、
りんと澄んだ音を奏でる。音と音が繋がって、調和した、和音を紡ぐ。

 時折、粒子が僕の身体に舞い降りる。その一瞬だけ、粒子は僕の中で微かな歌声にな
る。幾千、幾億の生物、大地、空の息遣いを織り込んだ歌声に。


 優しい雨となった、彼女と森の娘が集めた沢山の歌を、僕は呆然と、ただシャワーを
浴びるように感じていた。

 だんだんそれは、夕方の雨の様に水滴を増してゆく。

 手の中で、ぜんまいは廻り続ける。


  そっと耳を澄まして 遠いとおい音楽
  君の乾いた胸に届くはず
  森は緑の両手に 夜露を受けとめて
  晩餐の祈りを 歌ってるよ

  耳を傾けて 地球の歌うメロディ
  あふれる音の中 ただひとつえらんで

  きらめく 虫たちの羽音
  鳥の歌 あさつゆのしずく
  きこえない ダイナモにかきけされ
  人は何故 歌を忘れたの


 やがて、降り注ぐ歌の雨はあふれんばかりの音の洪水となって、僕達の胸を浸してゆ
く。世界の、その響き渡る和音と想いに圧倒されて、呆然と、だけど心地よく同化して
しまいそうになる。

「きこえる、きこえるよ、師匠……。」
 小人の娘が顔を上げて、大粒の涙をこぼしながらそっと呟く。


 僕にも、聴こえる。

 脈々と記憶の中を流れてきた、音楽の優しい嵐の中で、遠くから、たったひとつの彼
女の歌声が聴こえる。


  バイオスフェア 君の生命こそが
  バイオスフェア 素晴らしい楽器だから
  バイオスフェア 歌を奏でて
  バイオスフェア 鳥達を真似て
  バイオスフェア リズムを受けとめて
  バイオスフェア 50億のコーラス


 ずっとひとりでレールの上を歩いてきた、二つの世界。

 その地平まで続く時のレールを伝わる、無限で二つだけの記憶と想いを、二重の螺旋
の樹が、彼女と森の娘が歌に集めて、お互いに伝える。たとえ、世界で歌が忘れられて
も、微かに鳴り響く音を歌に紡いで。


 これからも、ひとりで歩いてゆけるように。


 その世界のレールの枕木の上で、小人の娘は、森の娘の歌を聴く。


 そして、僕は彼女の歌を聴く。





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