遠い音楽
かちりと最後の音を残して、ぜんまいは止まった。 小人の娘の泣き叫ぶ声を余韻に残して。 その瞬間、舞い降る歌は止んで、急速に意識が別の場所へ戻って行く。 その戻る意識の中で、泣き腫らした瞳で、小人の娘が僕のことを見つめていた。 その口からも、音にならない言葉が一つ。今度ははっきり読み取れた。 (あなたは、だいじょうぶ?) 僕も、音にならない言葉で応える きっと、だいじょうぶ、と。 * 次の瞬間、僕の意識は元の保存室に戻っていた。「樹」の根元に置いたあった木製の 小箱を手にした時と同じ状態で。 いや、同じ状態ではなかった。まるで間違い探しの様に微妙に異なるものが、意識の 中での出来事を裏付けていた。 目に見える違いはふたつ。 一つは、玻璃の天井に映る月の位置。その閉じた扉は今はだいぶ西方に傾き、やがて くる朝に天を譲る支度を急いでいる。 もう一つは、手にした「オルゴオル」という名の木製の小箱。手にした時に閉じてい たその蓋は今は開いており、歌い終えたずっとずっと昔の植物から作られた娘の人形が、 優しい表情をして立っていた。 いつもの彼女の面影を浮かべたまま。 そして、目に見えない違いはひとつ。 無数に降り注ぐ音の雨の中で聴いた、そして繋いだ手のひらで確かめた、たったひと つの彼女の歌。 僕の中に小さなオルゴオルがあるかの様に、その音楽は今も胸の奥の、ずっと遠くか ら届いてくる。 僕は、「樹」にもたれて、ずっとその音楽に耳を傾けていた。結晶となって紡がれる 言葉を抱きしめて。 何時しか、硝子を透過する闇の色が、月の反対側から微かに藤色に色づきはじめた。 あれほどの真白い輝きも、今は朧となって地平に薄れてゆき、また世界に息づく全て のものに、同じ朝が訪れる。 そして、届いた想いを糧にして、ふたつの世界は、そして僕達は、またそれぞれのレ ールをひとりで歩いてゆく。 とりあえず僕は、研究室に戻って、もう一杯コーヒーを飲むことから始めよう、と思 う。
挿入詞:『ガラスの森』/zabadak より
挿入詞:『遠い音楽』/zabadak より
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