螺旋の樹の物語 Last Station

遠い音楽


                                              
「あれから、どうしてたの?」
「相変わらず、古代生物学の研究をしてるよ……大学は変わったけどね。」

「今でも、蝶が好きなの?」
 久しぶりに見る、彼女の悪戯っぽい色を湛えた瞳。

「つい昨日、新しい標本が入ったんだ。思わず、一緒に持ってきちゃったよ。」
 負けずに、にやりと悪戯っぽく笑ってみる。でも、どうもこの技では彼女とモリザワ
教授のコンビには勝てない。

 その笑いとは裏腹に、つい先程の、保存室を舞う蝶達の光景が絵の様に頭をよぎる。

「よかった……忘れないでいてくれて。」
 短い栗色の髪が、軽くかしげるように揺れた。


 二人の間で、時間が静かにほどけてゆく。
 大学を移ってこの街を後にした時、僕は確かにもう一本のレールの行方を見失ってし
まっていた。

 だけど、見えなくても、離れることも近づくこともなく、やっぱり二本のレールはず
っと等しい間隔を保って、「自然」な姿で前へと伸び続けていて。


「小箱に、歌を集めにいったんだね。」
 僕の問いとも確認ともつかない言葉にこくんと頷いて、楽しそうに彼女は話す。

「すごかったのよ。植物達、鳥や虫、夜空、人、あたり一面から音楽が響いてきて。集
めても集めてもまだ終わらなくて、間に合わないんじゃないかと思っちゃった。」

「……僕達の世界とは違って?」
 今度は、そっと頷く。


「どうして、私があの公園の星座とか、蝶の舞う姿とか、ずっと昔の事に詳しいんだと
思う?」

「どうして、って?」
 急で奇妙な問いに戸惑い、問い返す。そんな僕を見て、彼女は不思議な笑顔を浮かべ
る。
 あの骨董品屋から、小箱を抱えて出てきた時の、不思議で寂しそうな笑顔を。


「私、見たことないけど、憶えているのよ。硝子の部屋に入るずっとずっと前、頭上で
瞬いて形を成す星達のこと。蝶が舞い降りて蜜を吸う花達のこと。この世界で歌が忘れ
られていったこと。」

 大きな瞳を閉じて、想い出すように、歌うように言葉を紡ぐ彼女。

「……腕の鞦韆で遊ぶ子供達のこと、向こうの世界できれいな機械達が捨てられていっ
たこと。」

 そっと、薄くひらいた瞳に映る、僕の姿。


「だって、私は、「螺旋の樹」の想いなんだから。」


 その言葉を紡ぐ一瞬、彼女がとても儚く見えた。
 泣き出してしまいそうに、抱き止めないと崩れてしまいそうに。

 僕の中で、今しがた会った森の娘の姿が彼女と二重に映りだす。痛々しく想いを歌に
紡いだ娘の姿が。

「そんな……。」

 彼女が、その痛々しい「樹」の想いだなんて。


「やだ、そんな顔しないでよ。もう一人の私に教わったでしょう?」
 その一瞬は幻だったのか、いつもの快活な彼女が困ったように言う。あるいは、僕の
方が泣き出しそうな顔をしていたのかもしれない。

 星座の公園で森の娘に教わった、歌のこと。

「……だから、いつも君は歌ってたんだね。」


 彼女は細い両腕を左右に伸ばして、急に楽しそうにくるくる廻って言う。
「私達四人、アルカリの粒子みたいね。手を伸ばしあって
二対で、記憶と想いを伝えていくの。ずっと、ずっと。」

「じゃあ「螺旋の樹」は、世界達の遺伝子?」

 僕と彼女、小人の娘と森の娘、二対四つの塩基の配列が二重の螺旋の間を繋いでゆく。
 くるくる、くるくると廻りながら、地平線に伸びて行くレールの枕木のように。

 ぴたりと、正確に回転を僕の前で止める彼女。

「私の歌、ずっと忘れないでいてね。」


 その時、扉が開いた。





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