螺旋の樹の物語 Last Station

遠い音楽


                                              
  優しい微笑みの中に溶け込むように、森の娘が姿を消したのは、本当はほんの数日前
の事。
  だけど、ずっと二本のレールを辿って歩いてきた小人の娘にとっては、その時間は長
い、長い時間に感じて。

  たったひとりで、ただ師匠に会いたくて歩いてきた、1日の、永遠の様な時。

  その時間に培われた想いの原石が、胸の内で結晶する前に、砕ける様に言葉てなって
溢れ出る。

「師匠っ、いったい何処にいってたんですかっ!」

  そんな、月明かりに磨かれた弟子の言葉のかけらを、そっと包み込む様にして、森の
娘は目を細める。
「歌を集めに行っていたのよ。」

「そんなこともう解ってますっ。何で、私に一言もなしに行っちゃったんですかっ!そ
りゃあ、私じゃお役に立たないことはわかってます。でも……。」

  感情のままに、湧水の様に溢れ出る言葉を静かに受け止めて遮る様に首を横に振る。
つられて、ふわりと巻き毛が揺れる。


「あなたに、一人で此処に帰ってきて欲しかったから。」



「私だってね、ずっとあなたと一緒に歩きたかった。でもね、あなたが歩くレールは、
何時かはあなたがひとりで決めなくてはいけないの。」

  そっと、中空を見上げながら、静かに、諭す様に。

「そんなの、師匠を追いかけるに決まってるでしょう?」
  必死になって、形にならない想いを紡ぐ小人の娘。そんな自分の弟子に思わず微笑ん
でしまう森の娘。

「ええ、解ってましたとも。」
「……師匠が解ってるって解ってましたっ。」

「だから、私は安心してこの樹の下で待ってる事ができたのよ。」


  砕けて言葉の断片になっていた想いが、いつも通りの師匠の優しい瞳の中で、もう一度、
ゆっくりと結晶に還ってゆく。

  ひとりで歩く胸の中で、ずっと宿していた一つの想いに。

「でも、じゃあ、やっぱり二つのレールは、逢うことはできないの?ずっとひとりだけ
で歩かなきゃいけないの?そんなの、寂しすぎるよ……。」

  湧き上がる言葉も尽きて、うなだれて呟く小人の娘。

「……寂しかった?」

「私のことなんか、どうでもいいんですっ!」
  泣きそうな怒った瞳で、その小さな顔をきっと向け直す。


「師匠と、お姉ちゃんが一番寂しそうだったから、だから言ってるんですっ!」


「ありがとう。」

  師匠と弟子の間のひとときの時間を、娘達の「螺旋の樹」の葉ずれの音楽がさらさら
と洗ってゆく。

  俯いて、言葉を失くした小人の娘に、朝の柔らかい空気がそっと包み込む様な表情を
浮かべて言葉を紡ぐ森の娘。その姿に、蝶と共に歌った時の痛々しさは微塵も見うけら
れない。

「でも、もうひとりの私に教わったでしょう?寂しくないように、歌を集めているんだ
って。」
「……わかんないよ……。」

「あなたがひとりで歩いている時、私の歌、聴こえた?」
「……聴こえた……。」
「私にも、あなたの歌、聴こえた。」

「師匠、本当に寂しくないの……?」

「言ったでしょう。私はひとりでも大丈夫。月が見守っていてくれるから。だからね……」

  あの晩、二本のレールの間で言葉を残した時と同じ様に、月の光の中に立って、金色
の巻毛を真白く輝かせて、安心させるように微笑んで。


「たったひとつのあなたの歌、ずっと歌い続けてね。」


  その時、扉が開いた。





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