螺旋の樹の物語 Last Station

遠い音楽


                                              
 それまで、ここ闇の中に僕達をずっと真白く浮かび上がられていた、夜天からの光。
その光が、急に薄布を身に纏った様に微かに弱まった。

 その変化に気づいて、僕は硝子の夜空に切り取られた円形を見上げた。

「私が、はじめてあなたに話かけた時のこと、憶えてる?」
 彼女は面白そうにくすっと笑う。

「本当は、月って鏡でできた扉なんだって、知ってた?」

 モリザワ教授も言ってた通り、彼女はあの時どうやら本当のことを言っていたらしい。
 切り取られた円形は、もう既に円ではなくなっていた。

 月の扉が、ゆっくり開いてゆく。


「師匠!月が、月が消えちゃうよ!」
「大丈夫よ、それより、耳を澄ませて。」

 ゆっくりと、光の円が端から黒い影に隠れてゆく。まるで、電子ロックされた扉がス
ライドしてその奥を少しずつ覗かせてゆくように。

 その開いた扉の奥の、遠い何処かから、微かに何かが響いてくる。

 確か、天文学でこのような現象を指す用語があったような気がする。僕はその用語を
ぼんやりと思い返す。
「……皆既月食……?」

 人の付けたその用語を思い出したその時、微かに手にしたままの小箱から振動を感じ
た。驚いて手元に目を戻すと、小箱の背の錆びたぜんまいが、重そうにひとりでに廻っ
ている。

 無数の周期を経た遥かな昔に生まれた、人の手が作った機械仕掛け。それが、扉が開
いたのが合図であるかの用に、きりきりと音を奏でて廻る。

 その音にあわせて、重々しく夜天に扉が開いて行く。

 機械の奏でる音楽に促される様に、僕と小人の娘は、同時に小箱の蓋を開けた。



 月の扉はもう半ばまで開いて、あたかも傾いた半円形の船の様に残りの輝きを漂わせ
ている。

 その扉に向かって、小箱の中から溢れ出した何かが、夜天の中を浮上してゆく。

 ぜんまいの回転に導かれて昇ってゆくその何かは、目には見えなかった。だけど、確か
に感じることができた。


 それは多分、彼女と森の娘が集めた歌の粒子。


 そして、その二つのオルゴオルの真中に佇んでいた、金属と木製の人形は今や無く、代
わりに。

「師匠!」
 目の前に立っている二人と二重映しになって、小さな彼女と森の娘が、不思議な道具を
持って箱の中に立っていた。

 そして、月の扉が完全に開き、二つの世界が手を伸ばして、繋がった瞬間。


 彼女と森の娘は、瞳を閉じて歌を歌い始めた。


  そっと耳を澄まして 遠い遠い音楽
  君の小さな胸に 届くはず
  海は満ちて干いて 波はフイゴの様に
  涼しい音楽を 町に送る

  耳を傾けて 地球の歌うメロディ
  あふれる音の中 ただひとつ選んで

  雨音 草の息づかい
  風のギター 季節のメドレー
  聞こえない ダイナモにかきけされ
  人は何故 歌を手放したの





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