桜 / page1


 ぽろん、ぽん、ぽろん。    遠い何処かで奏でられた調べを、桜の枝がアンテナのように受けとめる。  そうして、その調べは樹を介して、私のもとへと届いた。  ぽろん、ぽん、ぽろん。  ひとたび夜の桜を介して受けとめた、微かな音楽。  それはその後もとぎれとぎれの電波のように、思い出したように私のもとに訪れた。  桜のうたにも似た、ピアノの鍵盤よりも高く、何処か幼くも素朴な音のかけら。    何処からか届くその和音は、淋しい夜に灯りを燈すように、私の心をなぐさめた。  眠りに就く子を鎮めるために、夜毎紡がれるささやかなおはなしのように。  心に燈るそんな灯りに、私はいつしかひとしずく、ひとしずくと、想いを募らせていた。  そのしずくは、音楽という現象に向けられた分、より奥深く澄んだまま零れ落ちた。  やがて想いの水滴は、泉のように私の胸のうちにひろがって、静かに溢れ出した。  その調べを紡ぐひとに、逢いたい。  でも、その誰かに逢う術も、想いを届ける術も、私には全くなかったから。  だから、私はその調べへの想いを、私の旧い桜へとそっと込めた。  届くことのない想いを儚い花に変えて咲かせ、うたにして風に散らす。  それが、桜の樹の務めだから。   ***

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