幼い頃の娘がこの丘の上の家を訪ねるのは、たいてい夕方だった。
特に、生活費を補うために、市場に働きに行った帰り道に訪ねる事が多かった。
いつこの家の事を知り、いつ頃から通う様になったのかは覚えていない。
ただ、紅く染まり、更に夜の闇へと暮れ行く空の高くに最初の星を見つけた時に、
寂しさに耐えきれずによくここに駆け込んだ事ばかりが頭に浮かぶ。
そう、娘は黄昏時が好きではなかった。
人々が待つ人のいる我が家への帰路に就き、市場の賑やかさが一日の終わりの光の
彩りとともに、少しずつ闇に溶けてゆき、最後に残るのは冷たい月や星の光のみ。
そんな黄昏時は、娘に両親が死んだ日の事を、あるいは自分が独りぼっちである事を
思い出させた。
丘の上の家には、年老いた老婆が独りで暮らしていて、いつも娘を優しく迎えてくれた。
意外な事に、この老婆は町でも名が通っているらしく、両親の死後娘を引き取った親
戚の家族も、娘がどこにいるかが判ってからは、むしろ好都合といった感じで、娘の
行動を放任していた。
老婆は、ちょうど彼女が住むこの古い家と同じ様な、言葉にし難い不思議な雰囲気を
持った人で、その顔の優しい皺の数と同じくらいたくさんの、真実とも戯言とも見分
けの着かない奇妙な話を知っていた。
そしてなにより、娘に絵の描き方を教え、自分の画材を娘に譲ったのがこの老婆であった。
娘は、様々な色彩に目を奪われ、一本の筆が描く線から織り成される神秘的な造形の
世界に心を奪われた。
それは、単調な娘の日々に、絵と同じ様に彩りを加えた。
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