その冬の始め頃から、少しずつ老婆の体は弱っていった。
冬を越し、春を迎えてやや回復したものの、秋口に入って、その体の衰えは目にみ
えて分かる程になり、老婆の生命の灯があとわずかの時間しか持たない事を暗示した。
それでも老婆は、相変わらず夕暮れ時に娘がやってくると、暖かく迎え、元気そう
に振る舞うのだった。
ある秋の夕方、娘が丘に来てみると、老婆は家の中にはおらず、丘の頂上で夕日を浴
びてじっと座っていた。
「おお、嬢ちゃんかい。今夕暮れを見ておったところじゃよ。」
傍らに登ってきた娘に気付いて、老婆は言った。
丘の頂上からは、茜色に染まり行く町が一望できた。
まだ賑わいを残した町並は、一日の終わりの光が西の山々にゆっくりと消え行くにつ
れ静まり、次第に秋の虫達のざわめきがそれに取って代わってゆく。
天空は黄昏の輝きから群青、藍色へと静かに、確実に移り行く。
今まで、市場から見た狭い空の夕暮れとは全く異なる、悲しいほど綺麗で、そしては
かない黄金色の色彩の洪水。
その町並をキャンバスにした光の絵画を目の当たりにして、娘は涙を抑える事ができ
なかった。
「……嬢ちゃんは、夕暮れが嫌いかい?」
老婆は、涙をこぼす娘の頭を優しく撫でて、尋ねた。
娘は何も答えず、しゃがみこんで手で顔を覆うばかりだった。
次第に、町は光を失い、藍色の闇へと溶けこんでゆく。闇に僅かでも抵抗しようと、
家々の明りが一つ、また一つと灯されてゆく。
「終わりがあるからこそ、次の始まりがある。物事は、始まりと終わりがあるからこそ、
綺麗な色彩を持つのじゃよ。」
あらゆる物が、闇へと溶けこんでゆく。
後に残るのが、家々のほのかな明りと、虫達の騒々しいざわめきだけになるまで、老
婆と娘はその場から離れなかった。
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