「……そっか。私、歌、へたっぴいなのにね。」
「もし、わしの見立て違いだったら、返してくれなぁ。」
「いやよ。ねえ、ここで、吹いてみてもいい?」
「わしは、いつでも、聴いているさね。」
笛を手にとって、そっと息を吹き込もうとした時、ようやく、想い出した。
幼い胸にはあまりにも痛くて、透明に澄んだ、砕け散った水晶のような記憶。
その記憶のかけらの奥で、蓋を閉じられたオルゴールのように、眠っていた音楽。
私は、瞳を閉じて、心のままに、笛を吹いた。
氷が炭酸水に融ける時の、無数の泡のように、胸にあふれてくるその音楽に身を任せて。
薄紫から群青へと、波のように夜が打ち寄せる空を貫いて、高い、高い三拍子の旋律。
まるで、夕空に、音色で銀色の三日月を描くように。
それは、先生が亡くなる前に聴かせてくれた、この樹と同じ名前の音盤の、いちば
ん、最後の曲。
それは、この樹のたもとで、一度だけ逢った男の子が、私をなぐさめて吹いてくれ
た、最初で、最後の曲。
硝子でできたトライアングルのように、澄んでいて、かなしくて。
私は何も考えずに、笛を吹いた。
ただこの音楽を奏でたくて。ただこの音楽を、誰かに届けたくて。
ブリキでできた、切ないワルツ。
この空に、私の胸の奥に、くりかえし、くりかえし、透明な三角を綴って。
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