銀色の笛を護る黒のケースを背負ったまま、苦労して樹をよじ登る。
久しぶりに触れた、ゆるやかな暖かさの通う、乾いた枝の感触。
きっと、幹の体温と樹液は、人の何倍もゆっくりと流れるのだろうと、ふと思う。
肩で白い息を軽く浮かべて、ようやく私はなじみの枝にたどりついた。
昔よりも、ずっと細く感じる枝に座ると、逆に私が小さな頃に戻った気がしてくる。
そうして、ふたりとも何も言わないまま、しばらく坂道の下に広がる風景を眺めていた。
まだつぼみもない、桜の枯れ枝のゆりかごから見える、冬の夕空。
もう、夕陽の姿は、空と地上を黒く縁取る山の稜線の、はるか向こう。
ただ、一日の名残のともしびだけが、やがてくる夜の凍てつく空気に溶け出すよう
に、まるでかがり火のように、赤くゆらめいている。
その最後の灯も、やがて橙から薄紫へと、さらさらと砂のように流れて、拡散してゆく。
代わりに、ふもとの家々のささやかなあかりが、ぽん、ぽんと浮かんでゆく。
互いに、寄り添うように、互いに、呼び合うように。
この夕空に、月の影は、浮かんでいなかった。
「……ここからだと、何もかわっていないように見えるのね。」
「日々とは、そういうものじゃ。」
夕影に照らされた穏やかな顔で応える、細い綺麗な顔立ちの青年。
纏った袴のような形の和服は、夕焼けを照り返して、山吹色に映えている。
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