「たまには、一息入れるのも必要じゃぞ。わしがお茶を入れるから、こっ
ちに来て少し休まんかね?」      

 あれから、小一時間も経っただろうか。あいかわらず老人は、立ち去ら
ずに暖炉の傍でくつろいでいた。今は、青年も別にそれを気にする風では
なかったが。      



「ほい。わし特製のお茶じゃ。ちょっと濃い目だがうまいぞ。特に、こん
な晩はのう。」            

 暖炉の火はほんのりと暖かく、老人の入れた茶は美味しく、疲れた体を
芯から暖めてくれた。こんな風に、ゆとりのある時間を過ごすのは久しぶ
りだなと、ふとそう思いもした。                       


 老人は、時々お茶をすすりながら、下を向いてなにやらバイオリンの弦
を調節していた。しばらく見ていると、不意に老人は顔を上げて、青年に
訊ねた。        

「なにか、リクエストはあるかね?わしゃ、こう見えてもいっぱしの弾き
手でのう、どんな曲でも弾けるぞな。」 



 青年は、少し考えてから、こう答えた。       
「………先程、一番最初に弾いていらした曲を、もう一度弾いて頂けませ
んか?」               

「お安い御用じゃて。」               



 再び、小屋は穏やかなしらべに満たされる。今まで聴いたことのないは
ずなのに、何故か懐かしさを覚える和音の連なり、そして何故か聴き覚え
のあるメロディライン。 


 最後に、まるで野原の草花が一斉に咲き開いたかのように華やかな旋律
を奏で、そして静かな余韻を残してその曲は終わった。                    


「この曲は、あなたがお作りになったのですか?」   
「いいや、これは人々に知られていない春の曲でな。」老人は、バイオリ
ンを置いて、そう答えた。       


「もともと、わしは冬が大好きでなぁ、」少しお茶をすすって、先を続ける。                 

「今年は、ずっと冬が続くんで、わしはそれを楽しみながらあちこち旅し
て歩いておった。それで、とある村で今日みたいに、ある家で世話になっ
た時に、その家の娘さんが弾いてくれたでな。それにあわせて、バイオリ
ン向けに編曲したのがこの曲じゃて。」

 老人は、微かに目を和ませて、間を置いた。              
      

「……これを聴いて、春も捨てたものではないかもと思い始めてのう。ち
ょっとばかり、自分のやったことが恥ずかしくもなってな。」                 


「……どういうことですか?」            
 老人は、その問いには答えず、急に小屋の片隅に目を向けた。その視線の
先に、少し埃をかぶった古いギターが放り出してあった。         
         
「おや、あんたギターが弾けるのかね?良ければちょっと弾いてみてくれん
かね?」              




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