休まない翼

 寒々とした月が、砂浜へと時を刻む冬の波を蒼く照らしている。その波の規則正しい 音色は、激しく、寂しく、そして時を刻む者としてふさわしい様な冷たい音色だった。  日もとうに暮れて、海岸を照らす明かりは、蒼い三日月と、遠慮がちにまたたく冬の 星座達だけ。その頼りなげな明かりさえ、北から流れ来る、靄のような冷たい空気に徐 々に包まれ、その力を弱めてゆく。 (今夜は雪がふるかな。)  夜空を見上げ、そんなことを思いながら、微かな月明かりだけを頼りに、少年は砂浜 を歩いていた。手にした篭には、売れ残った魚が数匹。そして背負った袋には、代わり に買ってきたわずかな穀物や野菜。少年は、この島唯一の村から、数時間かけて帰って きた所であった。  さくさくさく……。  少年が、砂を踏みしめる音。時を刻む波の音。そして、潮の香を含む風の音。村へ行 く時を除けば変わらない日々の生活での中で、少年が耳にする音は、これくらい挙げれ ば十分であったろう。あとは、どことない静けさのみが残る。とりわけ、去年の冬、少 年が再び独りになってからは。  ふわり、ふわり。やがて雪が舞い始めた。  歩調を少し緩めて、軽く息をつく。真白い息が、一瞬闇に漂い、溶けて消えた。  少年の視界に、ちらちらと輝くものが入ったのは、その時だった。 (なんだろう、あれは。)  それは、少し先の波打ち際に、先程よりさらに弱まった月の光を受けて、微かに輝い ていた。  少年は、袋を背負い直し、その方向に駆けていった。そして、輝きの正体がわかった 時、少年は息を呑んだ。波打ち際に横たわるそれは、物ではなく、人、それも、見たこ ともない様な美しい娘だった。  月明かりを受けて、微かに輝いていたのは、彼女の髪だった。それは潮風にたなびき さらさらと白銀色の光の流れを紡いでいた。白銀の髪に半ば隠れたその顔は、いましが た降り始めた雪よりも真白く、そして水晶の様な透き通った純粋さをたたえていた。身 に纏った服も、娘の肌同様に真白く、あたかも、雪の精が天空から舞い降りたかのよう であった。  属する世界が異なる様な、娘の持つ異質な美しさに、しばし呆然としていた少年は、 我に還り、おそるおそる、娘の傍にかがんだ。 (死んじゃってるのかな……。)  そっと、娘の手を取ると、ほのかに温かみがあり、その体を流れる脈が、微かに感じ 取れた。 (まだ、生きてる!)  少年は、あわてて娘を抱きかかえようとした。娘は、少年の力でも楽に抱えられるほ どふわりと軽く、重さを感じなかった。少年は、なんとか運べると、ほっとして急いで 娘を抱えて自分の小屋へ走った。  しんしん、しんしん……。  窓の外の雪は、少しずつその勢いを増してゆく。 (こりゃ、当分やみそうにないや。)  窓から目を戻し、少年は、狭い台所で再びスープを作るのに専念した。暖まってきた スープから、ほんのりといい香りがただよう。  少年の小屋は小さかったが、子供独りで住んでいるにしてはしっかりとして、快適だ った。北側の角には土でできた暖炉が置かれ、たまに火がパチパチと音をたてる。あと は、わずかな家具と、古い小さなテーブルと椅子、そして、向かい合うようにして置か れた二つの寝床。その一つに、毛布にくるまって、銀色の髪の娘が今は安らかな寝息を たてていた。  少年は、スープを暖炉の側にくべると、椅子にかけて横向きで眠る娘を見つめた。生 まれてからずっと、この陸から離れた小さな島で暮らしてきた少年にとっては、この銀 色の髪の美しい娘は、まるで、物語の中の人物かと思えた。 「んっ………。」  娘が、微かに身じろぎをして、目を開いた。 「まっ、まだ寝てたほうがいいよ。もうしばらくしたら、スープができるから。」  少年は、少し慌て気味に言った。 「ここは…………?」  この娘の問いに、島で育った少年には、何と答えて良いのかわからなかった。そして 戸惑いの後、こう答えた。 「僕の小屋だよ。」


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