<<参考>> 野猿街道は一ノ宮から野猿峠を通っている道であるが、あるホームページで野猿峠の由来が記されていた。「野猿」の文字が使われたのは 昭和3年以降だそうである。したがってこの地図が製作された頃はそういう呼び名ではなっかたことになる。 そのホームページによれば、戦国時代の武将がいまの野猿峠(その頃は名前がなかったらしい)に「甲(かぶと)」を埋めて武甲山にちなみ「甲山峠」と名づけたそうだ。「甲」が書き誤り「申山峠」になり「猿山峠」となったらしい。「野猿峠」が使われたのは昭和になってから。 名づけた武将も驚いていることであろう。 |
古地図上の地名 | 現在の地名 |
南多摩郡・日野駅 | 日野市・日野 |
南多摩郡・上田村 | 日野市・上田 |
南多摩郡・宮村 | 日野市・宮 |
南多摩郡・万願寺村 | 日野市・万願寺 |
南多摩郡・下田村 | 日野市・下田 |
南多摩郡・荒井村 | 日野市・新井 |
南多摩郡・石田村 | 日野市・石田 |
南多摩郡・南平村 | 日野市・南平 |
南多摩郡・高幡村 | 日野市・高幡 |
南多摩郡・三沢村 | 日野市・三沢 |
南多摩郡・落川村 | 日野市・落川 |
南多摩郡・程久保村 | 日野市・程久保 |
南多摩郡・百草村 | 日野市・百草 |
古地図上の地名 | 現在の地名 |
北多摩郡・青柳村 | 国立市・青柳 |
北多摩郡・谷保村 | 国立市・谷保 |
北多摩郡・四谷村 | 府中市・四谷 |
南多摩郡・一ノ宮村 | 多摩市・一ノ宮 |
南多摩郡・中野村 | 八王子市・東中野 |
南多摩郡・大塚村 | 八王子市・大塚 |
南多摩郡・和田村 | 多摩市・和田 |
南多摩郡・東寺方村 | 多摩市・東寺方 |
明治14年とはどんな年であろうか。年表により前後を調べてみる。この年に国会開設の詔があった。
4年前には西南戦争。
翌年に日本銀行が創立され、翌々年に鹿鳴館が落成している。
文豪森鴎外は19歳、東京大学医学部を卒業している。
明治5年に開業した新橋・横浜間の鉄道はこの年に複線化された。そして8年後に東海道本線が開通し、横浜市で日本初の近代下水道が建設された。着々とインフラが整備され始めたようだ。
電気、電話はどうであったろう。
明治18年(1885年)白熱電灯が東京銀行の集会所に使われたそうだ。その翌年、東京電灯(東京電力の前身)が開業した。電気の本家アメリカでは6年前の明治12年(1879年)エジソンが白熱電灯を実用化し、2年後の明治14年(1881年:この地図が出来た頃)電灯事業をニューヨークで始めている。その翌年、ニューヨークで水力発電が始まった。
日本では東京電灯に続き数年間、各地に電灯会社が設立されている。ローカルな話だが八王子電灯が明治28年(1895年)設立。私が住んでいる地域に電気が供給されたのは昭和2年、この年の電灯普及率は87%だそうだ。
一方通信は明治2年(1869年)東京・横浜間で電報が取り扱われ、明治11年国産1号の電話機が作られた。東京横浜間の電話交換が開通したのは12年後の明治23年(1890年)である。私が住んでいる地域に電話が敷設されたのは昭和9年という。昭和13年には電話加入者数が100万を突破。
ついでながらこの頃の物価は、日本酒・特級が11銭、ビール大瓶は16銭、牛乳1本は4銭、食パン1斤が5銭だったそうである。
ビールがもうあったのかと驚いたが、本格的に醸造・販売されたのは明治3年(1870年)横浜の外人居留地内での販売らしい。しかし明治5年(1872年)になると日本人がはじめて醸造・販売したそうである。
牛乳は文久3年(1863年)オランダ人から乳牛の飼育、搾乳を習い横浜に牧場を開き牛乳の販売を始めたそうだ。
一方パンは横浜開港の二年後の文久元年(1861年)に売り出され、次々にベーカリが開業し明治元年(1868年)には横浜に4軒の異人ベーカリがあったそうだ。
一枚の古地図が雑多な知識を得るきっかけを与えてくれた。先人たちのバイタリティも垣間見ることが出来た。