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沿    革
1.幼少時代  
親戚の兄貴の幼稚園に送って行くのについて行って、途中の池袋大橋で電車を眺めていると、幼稚園終わって帰ってきてしまう程、電車見るのが好きだった。
プラレールは、買ってきた電池が全てなくなるまで運転していた。
そこで、困った親父が、画用紙に絵の具を塗ってペーパークラフトを作らされた。
これが、フルスクラッチの原点になってしまうとは誰も知るよしも無く。

2.小学校時代  
小3の遠足の時に馬鹿ちょんカメラを買ってもらった。
遠足で余ったフイルムを処理する為に、親戚の叔父さんが上野に連れて行ってくれた。
これが、写真取り捲り時代の始まりになる。
小5の時、HOのヨ5000から始まり組レールのカーブを1本ずつ購入し、円が出来たときEB58とパックを買ってもらった。しかし、なんか違うなと感じつつ。
小6の時、「やっぱり風景の中を走らないと」と、Nに走り、定尺ベニヤ1枚に丸書いてちょんのレイアウトを作り始める。
駅は輸入品、駅前の商店街は、工作用紙でフルスクラッチ(GMキット等はまだ無かった)。石膏で山を作ったものの立てかけておいたら弟の足の上に落ちて来て「トンネル禁止令」が発動される。切り出したベニヤを平原の上に貼って高架線のリバースを作成した。この時、アトラスの組レールでは、上手く合わずに始めてフレキシブルレール使った。車両の方は、夏休みの宿題で、165系を作る(本についていたNスケールのペーパークラフト)。

3.中学校時代   
1台しか運転出来無い単線形に103系では、と思い、複線8字と、その外側にリバース線の役目も果たすエンドレスと3本同時運転を可能な形のレイアウトを作成しました。
電車は、103系しかなかったので、工作用紙のフルスクラッチが、始まった。
自作のペーパークラフトで西武101系から始まって、103系の戸袋窓をパテ埋めし、バルサ材で作った全面とクーラーを用いた東武8000系。
この頃やっと、キハ82系特急がKATOから出る。

4.高校時代     
一眼レフを買ったので写真取り捲り時代に入った。その為、自分のジェットコースターレイアウトに何か違うと感じつつ、レイアウトは、進展無し。
車両の方は、181系を購入した時、大好きな583系を工作用紙のフルスクラッチ+バルサで作成。その後ナインスケールからTomixが発足し、学研が583系、485系が発売されて、折角作った583系がお蔵入り。これがショックだったのと、GM客車キットが出始めて、もっぱらキットの素組をしていた。

5.予備校時代   
角田さんの6線有ってもジェットコースターで無く、通勤型も長距離列車も似合う都会型や押田さんの木材だけで作った山とかが、TMSに発表されました。それに刺激されて定尺2枚強のL型の複々線が、都会、住宅地を走り、複線になった辺りで、左に折れて奥が上流風景、手前が下流風景の川が中央に流れててその左側が田園風景で右側が丘から切通トンネルへと、ちょっと欲張り過ぎのレイアウトを作りました。
「1日10分、1ヵ月で5時間」と言う標語が、受験勉強で無く、レイアウト作りになってしまいました。
車両の方は、KATO153系やTomix113系等各メーカーから出始めたのを購入するだけで充分満足出来る状態になっていた。精々出始めた201系試作車、西武101系GM電車キットや、103系のGMカラーで再塗装程度だった。またまたペーパークラフトがお蔵入り。

6.大学時代    
本物志向のビルを作れる建築学部か、自動制御の電子工学部かの選択で後者を選びました。しかしながら、何故か将棋部に・・・。
その後、模型・鉄道にも全く興味が無くなって、気づいたら山手線に103系が無くなって、常磐線が小田急線になっていたが、別に何も感じずに過ごした。

7.復活の兆し   
十数年後、過食症が元で、肝臓を悪くしてしまった。原因は、ストレスによるもの。
「医者に打ち込める趣味を持ちなさい」と言われ、思い浮かんだのが鉄道模型だった。
この頃、デジタルビデオカメラを購入したので何か試し撮りにと、「あさま」撮りに碓氷橋に。始めて長野色を見てビックリし、各地域で塗装色が異なる事を知る位、浦島太郎だった。模型の方も、たまたま行った銀座で、模型ショーがやっていたので、見に行ってビックリ、251系を購入してしまいました。
実家に寝ていたレール類を取り寄せて走らせて・・・。次に、157系GMキットを作って、「そろそろレイアウトでも」考え始めていました。

8.完全復活     
PC−VANに来ていたARCの方にJANTRAKのモジュールを持ち寄って楽しむ運転会があるよと教えて頂き、公開運転会を見てきました。そして、その魅力に取り付かれて、計画していたレイアウトは600×1800の鴻巣駅をモジュールにする事に急遽変更しました。次に、Niftyの運転会に行って、複々線仕様で本物志向の車両基地を見せられて、自分も「こんなの欲しいな」と思って現在に。。。


長々と書いてしまいました。
こんなものを最後まで読んで頂いて、有り難う御座います。


社長のプロフィール  
@ハンドルネーム:MRK
パソコン通信を始める前に、ある通信ゲーム(結果をサーバーに登録程度のもの)で、初めてこの世界に踏み込みました。この時の設定画面で、いきなり「ハンドルネーム」と、聞かれて、取りあえず、イニシャルの「Mr.K」で登録したのが始まりでした。

その後PC−VAN(biglobeのパソコン通信時代名)、Niftyに入り、様々な所に顔出して居たので返信するのが、大変で、風船上がっているものを検索し、RESを書いて居たのですが、「Mr.K」って、ATOK辞書で一発変換してくれない為、色々なパターンで間違えてUPしてくれてしまい、RESが遅れてしまう事が、よく有りました。
そこで、「・」「,」「。」等、一番バリエーションの多かった「点」を取り除いて全て大文字にしました。そこで完成されたハンドルが「MRK」です。
まったく、意味も由来も無いですネ。。。

@年齢
  もう、かなりのおじさんです。

@住家
  埼玉県のど真ん中、免許センターのある所

@職業
  会社員

@趣味
  スポーツ観戦(高校野球、プロ野球[阪神ファン]、サッカー)
  鉄道模型(日本型Nゲージ専門、でも、鉄ちゃんでは無い。
           風景の中に鉄道があるジオラマファンかも。)
  将棋(アマ三段)

@スポーツ
  ハイキング(リハビリで最近始めた)
  スキー(コースの狭い上級コースでは、すべりが変わってしまいます)
  ボーリング(ハイスコア242、アベレージ180
            でも、今は・・・100行くかナ?。久しく、やってない)

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