四月十三日生まれの正隆は、九月の後半から十月の前半にかけて生後五ヶ月ということになる。このころの最大の変化は、まず腹ばいで移動することができるようになったこと。まだハイハイと呼べるほど美しいものではない。@両腕を突っ張って上体をおこし、バタンと前方に倒れるようにして偶然十センチほど前進する。Aうつ伏せの状態からクロールのように上半身を左右にローリングさせて、じりじりと動く。Bうつ伏せの状態でお尻だけ高く持ち上げ、そのお尻をまっすぐに伸ばした結果、尺取虫のように移動する。この三種類が主な移動パターンだ。
だが敵をあなどってはいけない。少し目を離したすきに、かなりの距離を移動することが次第に多くなってきた。まいったのは一度ティッシュペーパーを引っ張り出して散らかされ、数枚を口に入れられていたときだ。ずいぶん離して置いておいたつもりだったのに、台所で洗い物をしている間の犯行だった。このほかに敵のターゲットとして、新聞紙、本、ごみ箱がベストスリー。これらのものは敵と同一平面上には置いておけなくなった。
このほかにもコンセントに差し込まれているプラグが危ない。わがやではリビングのコンセントを常に複数のクッションで隠すことにしてある。絨毯にじか置きにしていたサラウンドスピーカーも、にわか大工で壁にかけられることになった。
もう一つの変化は下の歯が二本はえてきたこと。これは知子によって九月十六日に発見された。お姉ちゃんはしょっちゅう正隆が大口開けて笑うほどあやしてくれるか、大声で泣かせてくれるので第一発見者となったのだ。確かに口の中には二つの小さな、米粒の頭のような白い突起が顔を出している。実はこれは僕にとって内心おおきなショックだった。まだ妻にも知子にも話したことがない、僕のひそかな楽しみが実行不可能になったからだ。
小さいころから、海は砂浜より磯のほうが好きだった。かにや貝、小魚など小さな海中生物に触れることができるからだ。時には大きく長いうつぼの死体に驚かされたり、ウミウシやアメフラシといった珍しい生き物を手にとって感動したりもできた。
磯の一番の楽しみはイソギンチャクを見つけることだった。大粒の梅干しくらいのイソギンチャクがちょうど良い。人差し指を触手に囲まれた中心部に沿ってくっつける。すると、その感覚が外のどんな生活場面にもないものなので、子供のころ夏に海に行くのがとても楽しみだった。
もうおわかりだと思うが、正隆の口はイソギンチャクだったのである。歯が生えるまでは。僕は遊び相手をしながら時折思い出してはイソギンチャク遊びをしていたのだ。入れた指の先を舌でくるみ、まとわりつかせてくる感じは、おさな心に焼き付いたイソギンチャクの感触に良く似ていた。