最後だし、オレは掃除を手伝ってやることにした。
「…んじゃあ、こうして掃除を手伝ってやるのも今日
が最後ってわけか」
 そう言って、オレはモップを手に取った。
「…あっ、浩之さん。…もしかして、また、わたしの
お手伝いをしてくださるんですか…?」
「おう」
 オレがうなずくと、
「…そんな、悪いです」
 マルチはすまなそうな顔をした。
 どうもマルチの頭の中では『ロボットイコール人間
の道具』という図式が成り立っているらしく、逆に人
間のオレに手伝われると、違和感を感じるらしい。

「なに言ってんだよ、毎度のことだろ?」
 オレは笑顔で言った。
「…そ、そうですけど」
「遠慮すんなって。マルチがみんなのために掃除する
ように、オレもマルチのために掃除したいんだよ」
「わたしのため…ですか?」
「そうそう。マルチだって、掃除すること自体より、
掃除することで、みんなが喜んでくれることのほうが
好きなんだろ?」
「…はい」

「オレも同じさ。掃除は…、正直あんまし好きなほう
じゃねーけど、マルチのために、なにかしてやりたい
んだよ」
 照れを隠すためか、じゃぶじゃぶとモップをバケツ
に突っ込みながら言った。
「…そ、そんな、わたしなんかのために」
「オレに手伝ってもらっても嬉しくないか?」
「い、いえっ、そんなっ、嬉しいですっ! とっても
嬉しいですっ!」

「…ってことは、オレも嬉しいし、マルチも嬉しい。
どっちも嬉しいんなら、それでいいじゃねーか」
「…ひ、浩之さん」
「んじゃ、始めようぜ?」
 オレは、ぺたんとモップを床につけた。
「…は、はいっ! ありがとうございます!」
 マルチはにっこりと、うれしそうに微笑んだ。

 マルチはごしごしと念入りにモップを動かした。
 嫌々ながら仕方なくやっている他の生徒たちとは、
意気込みが違う。
 少しでもキレイに仕上げて、みんなに喜んでもらい
たいという明確な目的があるからだ。
 ぱっと見比べただけでも、マルチが担当した廊下だ
けは、陽射しを跳ねて、ぴかぴかに輝いて見えた。
 それは紛れもなく、この一週間のマルチの努力の成
果だった。
 …しかし、一生懸命にやるのとやらないのとじゃ、
こんなにも差が出るんだなぁ。

 ごしごしごしごし…。
 一生懸命なマルチにつられ、モップを持つオレの手
にも、ついつい力が入ってしまう。
 一生懸命頑張るマルチは、ロボットのくせに額に汗
を浮かべていた。
 しつこい汚れを念入りにこすっている。
「……」
 このマルチの真剣な横顔も、今日限りで見納めかと
思うと、やっぱりなんだか寂しくなってくるな。
 できれば、もっと一緒にいたかった。

 ――そして、オレとマルチは、最後の掃除を終え、
掃除用具を片付けた。

「なあ、マルチ」
「はい」
「今日はもう、これから帰るだけなんだろ?」
「…え〜と、担任の先生への挨拶はすませたし、その
他のお世話になった方々にも…。はい、ありません」
「よし。だったら、一緒に帰ろうぜ?」
「えっ?」
「送るぜ、バス停まで」
「あっ、はいっ!」


「――お世話になりましたっ」
 マルチはそう言って、校舎に向かってぺこんと礼を
した。
 土曜日の校舎は、普段よりも早く人気が引き、遅く
まで掃除していたオレとマルチ以外はもう、グランド
や体育館にいる部活の生徒ぐらいしかいない。
「…短い間でしたけど、とってもとっても楽しかった
です。この学校で過ごした8日間のことを、わたしは
一生忘れません」


 ちょっと遅い…もしくは、ずいぶん早い卒業式。
 卒業生は、あそこにいるマルチひとりだ。
「……」
 感慨深そうに、じっと校舎を見つめるマルチの背中
を見ていると、なんだか少し、可哀相に思えた。
 ロボットだけど、マルチには、オレたちとなんら変
わらない心がある。
 さっきからずっと、微笑みを絶やさないでいるが、
その表情は、やっぱりどこか寂しげだ。
 このままずっと学校にいられればいいのに。

 たたたっ…。
「すみません。お待たせしましたっ」
 走り寄ってきたマルチが言った。
「もう、いいのか?」
「はい。しっかりとメモリーに焼き付けましたから」
 マルチは明るい笑顔で答えた。
 この明るい笑顔とも今日でお別れか…。

「――あ〜お〜げ〜ば〜、と〜お〜と〜し〜…」
「?」
「わ〜が〜し〜の〜お〜ん〜…」
「…あの、なんですか?」
「仰げば尊しだろ? なんだ、しらねーのか?」
「はい…」
「卒業式に歌うんだよ。定番なんだ」
「卒業式…ですか?」
「今日はマルチの卒業式みたいなもんだろ?」
「…え」

「お〜し〜え〜の〜、に〜わ〜に〜も〜…」
「……………………うっ……………………ううっ…」
「は〜や〜い〜く〜と〜せ〜…」
「…うう、浩之さん、ありがとうございます…」


 穏やかな午後の陽射し、オレとマルチは並んで坂道
を下って歩いた。
 いかにも春っぽい風が、ふたりの髪を揺らしながら
通り過ぎた。
 道の途中、オレが楽しい話を振ると、マルチは笑顔
で応えながらも、まだ目の中に残った涙をこすってい
た。


 少し足を遅らせ気味に歩いたが、それでもやっぱり
目的地には着いてしまう。
「またここで、セリオってヤツと待ち合わせか?」
「はい」
 オレが訊くと、マルチはうなずいて答えた。
「まだ来てないみたいだな」
「セリオさんは時間に正確な方なんです。…少し早く
来ちゃいました」
「じゃあ、それまでは話ができるな」
「はい」
 マルチはもう一度うなずいた。

「じゃあ、なんの話をしようか…。そうだな…」
「…浩之さん」
 そのとき、マルチがあらたまった口調で言った。
「うん?」
「この一週間、本当にご迷惑をお掛けしました」
 深々とおじぎする。
「なに言ってんだ。全然迷惑なんかじゃなかったぜ?
オレもマルチと出会えて、とっても楽しかった」

「こちらこそ楽しかったです。危ないところを助けて
いただいたり、一緒にお掃除を手伝っていただいたり、
ずっとお世話になりっぱなしで…」
「いやいや…」
「本来なら、ロボットのわたしが、浩之さんのために、
なにかしなくちゃいけないのに…」
「いいって、いいって、そんなこと。気にすんなよ」
 オレは照れながら苦笑した。

「…浩之さん」
 そのとき、マルチはなにやら恥ずかしそうに俯いて、
小さな声で言った。
「なんだ?」
「…もしも」
「もしも?」
「…もし、もうしばらく自由な時間があれば、わたし、
浩之さんに御恩返しがしたかったです。…みなさんの
ためにじゃなく、浩之さんだけのために、なにかした
かったです…」
「マルチ…」
 マルチは、熱っぽく潤んだ目を向けて、微笑んだ。


「さんきゅっ、マルチ」
 オレはそう言ってマルチの頭を撫でた。
「あっ…、ひ、浩之さん…ヾ
「…マルチ、お前って、ホントに優しいいいコだな。
よしよしっ」
 なでなで。
「ひ、浩之さん…」
 なでなでなでなで。
「……………………」
 オレが頭を撫でると、マルチは赤らんだ頬にそっと
両手を添えて、うっとりした目になった。

「なんだ、マルチ。頭撫でられるの好きか?」
「…は、はい、好きです」
「嬉しいのか?」
「…は、はい、嬉しいです」
「よしっ、じゃあ、もっと撫でてやろう」
 なでなでなでなで。
「………あ」
 なでなでなでなで。
「…………」
 なでなでなでなで。
「…………」


 そうこうやっているうちに、メイドロボのセリオが
やってきた。
「――お待たせしました、マルチさん」
「…あっ、セリオさん」
 すっかり、ぽーっとなったマルチが言った。
「…ってことは、もうお別れの時間だな」
「…あっ」
 オレのひとことで、マルチはまるで、夢から覚めた
ように、はっとなった。

 バスが来るまで、あともうわずか。
 ついにお別れのときが来た。
 最後にオレは――。

 A、記念にネコプリしようぜ。
 B、もう一度、頭を撫でた。
 C、また会えるよな、と訊く。