水中カメラの害

04/23/98記

 先に、誰にでも勧められるほど単純でもなければ甘くもないと書いた。ダイビングの楽しみの中でフィッシュウォッチングというのは、かなり大きな要素を占めるということは異論の無いところだ。のんびり水中散歩あるいは塩水に浸っているだけでも幸せというダイバーもいる。でもカメラでこれらの楽しみは減るとなるとどうでしょう。スナップ的に写真を撮るのなら余り害にならないが、凝り性の場合写真を一生懸命撮ろうとする。そうすると、ファインダーでフレーミングを考えて露出、距離(AFの場合はストロボ光量との兼ね合いだけ考えればいい)を合わせ、タイミングをはかって...。好みの問題になってくるのだと思う。ダイビングを始めたきっかけみたいな所と密接に関わるのだろう。自分に向いているかどうか、よーく考えてからカメラセットを買わないと、高い買い物なので後悔先に立たずとなる。

 ここで書きたかったのは、不向きの人に対する警告である。何となく写真に手を出すダイバーが多いのに、何が撮りたいかを良く考えてレンズとかの選択をしましょうとか、初心者にはxxxの機種がお勧めなんて言われても、全然役に立たない。取り敢えず撮ってみてから先のことは考えるしかないと儲け優先ショップのスタッフは言うだろう、利益率は知らないが、相当な売上額として店に貢献するのだろう。ダイバー優先に考えるショップ or スクールではその辺のことを相談に乗ってくれるので、誰にでも勧めたりはしない。量販店では、そのダイバーが写真に向くかどうか知らないし、売ることが優先なので、レンズの選定や機種選定に熱心に相談に乗ってくれる。あなたは買わない方がいいですよなんて言うはずないよね。


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水中写真の楽しみ

04/23/98記

 私の場合、スノーケリング→水中写真と来た。一番始めに買った水中カメラはSea&Seaのモーターマリンという機種だった。ストロボも小さいのが内蔵していたので、そのまま水中で撮ってみた。初めて撮った写真にはソラスズメダイが写っていた。背中から斜めに写したので図鑑の様には写っていない。仕上がった写真の真ん中に写ったソラスズメダイはそれはそれは小さいが、存在そのものは十分に写し込めていた。結構うれしかった。その後も海水浴場などでキヌバリやキュウセン、ニシキハゼなどを撮った。目視による距離設定の難しさを何とかクリアーできそうになった時、どんどん欲は深まってきた。外部ストロボで魚の色を出したい、もっと大きく写したいという願望である。ストロボを買い足したのは間も無い頃のことであった。当時モーターマリンのアクセサリで、水中脱着可能なクローズアップレンズがあったのでこれでもっと寄ってシャッターを切った。フィルム数本で1カットピントの合ったのが撮れるかどうかくらいの確率であったので、クローズアップレンズの使用はあきらめた。被写界深度はとても浅かった。35mmレンズ+オートストロボ(TTLオートではなく、センサーオートのYS-50Aという機種)でしばらく撮り続けることになった。次なる欲求は、息こらえの苦しみから逃れるためのスクーバの導入であった。

 この撮影器材で結構色々な事を学んだ。しかしその内ワイドが欲しくなり、NIKONOS-VとSea&Seaの17mmレンズを購入した。被写界深度の深さはとてもありがたかった。欲は留まることを知らず、ワイドと標準(35mm)の2台持ち込みとなった。この時、NIKONOS-V用にSea&SeaのYS-100というTTLオートのストロボを導入した。標準の絵に飽きた頃、NIKON F3HPにモータードライブ付けたのが入れられるハウジングをSea&Seaが出した。とても手の出る値段ではなかった。DIVも進出してきたが、一眼レフを海に持ち込むということ自体に抵抗があった。でも、マクロの作品を見るにつけてその新鮮な観点はすごく魅力的だった。そこで飛びついたのがSea&Seaの中間リング群。NIKONOSの28mmか35mmのUW Nikkorに付けて接写をするための物で、枠が付いている。いわゆる当てチョン方式である。本当は枠の先から5mm位先にピント位置があるので、接触させると後ピンになる。微妙である。動かないものや、枠が来ても怖がらない生物は一眼レフで撮ったような被写界深度がすごく浅いマクロ写真が出来上がる。このためにボディはモーターマリンじゃだめなのでNIKONOSが要る。V型を買う余裕が無かったのでIII型を中古で買った。レンズもこの時W Nikkor 35mmF2.5を中古で買った。ワイド17mmと接写という二刀流である。しばらくしてYS-100が壊れた。二刀流を載せていた自作のベースも接合部が折れ、またストロボアーム取り付け部もガタがきた。という状況で修理に出すこともなく1台のみ持ち込むという安易な方向へ向かった。この時点でIII型は水辺の陸上カメラとなった。最近のニコンのオーバーホールサービス終了宣言を受け、完全に「飾り物」になった。

 この時点で、既に17mmの難しさと接写による被写体の限界を嫌というほど味わってしまっていたので、ブランクの後の復活後のメインは35mm標準に戻っていた。でも随分久しぶりなので距離感が悪くなっていて、ジャスピン率が低い。17mmの使用だとほとんど気にならないパララックスの餌食になってしまった。など悔しい思いをしている。

 という訳で結局、ハウジングの購入に行き着いてしまった。思った通りの写真が撮れない時の悔しさはひとしおである。だって、ファインダーで確認してシャッター切ってるのだから。NIKONOSなら言い訳も色々あるけど。これからが練習である。


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カメラは高い

04/23/98記

 既にスクーバの器材に数十万円投資した後で更に数十万円も投資できるかという問題。今でこそ「潜るんです」とかがあるのでスナップ的に楽しもうとするときにいきなり高価な撮影器材を購入しなくても、どんな様子か感触はつかめる。私が始めた頃はこんな便利な物は無かった。みんな勇気のいる(無謀とも思える)決断をしてカメラとストロボその他一式を揃えた。ピンぼけ露出ずればかりのフィルムのごみを大量生産するために...。ああ環境に優しくない。

 


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AF一眼レフ in ハウジング

05/22/98記

 NIKONOSで悩まされ続けたピントの問題が解決されるという点では疑いなくAF一眼レフ in ハウジング導入のメリットがある。ところが、現像上がりのフィルムを見ると何だか違うと感じる。フレーミングに問題がある場合が多い。AFでもMFモードでもピントは見えるだけに結構一生懸命合わせようとする。そのせいか、ファインダーの隅々まで確認しないでシャッター切ってるとしか思えない。また、ファインダーとマスクをぴったり付けているので、益田流NIKONOS一刀流の技が使えない。これはすごく不便だ。距離感が分からない。近づきすぎて魚に逃げられるケースが多い。んー困ったもんだ。


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ダイビングクラブ探し

05/28/98記

 インターネットを利用できるダイバーで身近にバディーがいない人は近場でダイビングしたくなったらダイビングクラブ探しをサーチエンジン使ってやりますよね、多分。私も探しました。そろそろそういう季節になったということなのでしょうか、私の所にもいろいろとe-mail頂くことが多くなりました。ここでダイビングクラブ探している皆さん

に忠告!インターネット上でもそうでなくても、非営利活動の範疇で健全に運営されてるかどうかは、まず調査した方がいいですよ。お金掛かってもいいという裕福な人は次の記事を読まなくていいです。


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クラブの形態

05/28/98記

 まず最も多いパターンがダイビングショップと完全に繋がっているケース。そう明らかに宣言しているクラブは安全だと言えます。こういうのはむしろ完全にダイビングショップの営業活動の中で位置づけられているので、通常のダイビングショップの主催するツアーに参加するのと内容的、金額的に違いは無いのだと思います。でもクラブとしての

メリットってあるのでしょうか?会員割引ツアー価格とか?でもやはりショップのツアーである以上お高いのでしょっちゅうは行けないのは変わらない。

 この形態を取りながら、ショップとの関係を表に出していないクラブがあるようです。この手口が要注意です。いかにも非営利活動のように書かれていても料金が結局ショップのツアーと変わりなければ、どこかで利益を取られているはずなのです。器材が安く手に入るなどという歌い文句はこの手のクラブに多いようです。結局ショップの営業に結び付けているだと想像されます。

 次に分類上難しいのが、インストラクターやダイブマスターが主催しているクラブです。ショップのスタッフやオーナーが主催するなら上で述べて形態ですが、ショップに属さない(店番をしない=サラリーマンでない)インストラクターやダイブマスター(フリーランスのプロ)は、自分の利益を出すために、実費にいくらか上乗せしてツアー料金を設定すると思われます。ショップのツアー等の相場よりも安くなっていたりするとこれはこれで参加する側もメリットありますよね。

 そして最もびんぼうダイバー(frequent diver)向けなのは完全実費割り勘制のクラブです。ガンガン潜りに行きたいダイバーはこれしかないでしょう。この形態のみが堂々と胸を張って料金の明細を参加者に提示できるのです。どこにも利益を乗せないのですから。

 形態がどうであれ、冬場はスキーに行こうとか、バーベキューもしようとかっていうクラブがあります。例会があるクラブもあります。サラリーマンならみんな忙しくてびんぼうなはずなのにダイビング以外にそんなお金がよく残っているもんだと感心します。こういうクラブはメンバーのクラブへの帰属意識で成り立っているのでしょうから、行きたくなくても行かないと仲間外れにされるような、次に行くとき気まずくなるような...主催者側に近づかないと、常連さんでないと楽しめないということです。十人十色。みんながダイビングもスキーも飲み会も同じ程度にやりたい訳じゃないでしょう。色々やりたいなら、それぞれ専門のクラブに属すればいいじゃないのかと私は思います。


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ログブック

10/13/98記

 ダイバーの皆さんはログブック付けていますか?めんどうなので付けないという人、単に客観的なデータのみを記録として付ける人、データと感想を書く人、見た魚の名前を書き連ねる人(魚の名前を覚えたい人に多い)、やたらびっしり書き込み、魚の絵とかも書く人。潜った仲間の寄せ書きにする人。プリクラ貼りまくりの人。色んなログブックにお目にかかるのは楽しい。

 何かの役に立てようというならきちんとデータを残す必要がある(本当は残しただけじゃ約に立たなくて、整理する必要があるのですけどね)。例えば水温とスーツの関係等。水温何度以下だったらドライにするけどそれ以上だとウエットで行く、とか。魚の名前を含むデータとして、タンクの材質、容量、ウエイトの重さ、利用したサービスの料金内訳、駐車場代等も後で役に立つ。

 一方、感想等の主観を記入することも多い。最近私はこの主観の部分を非常に大切にしている。その1本1本のダイビングの様子は時が経てば忘れるのは仕方の無いこと。でも、思い出の糸をたどるきっかけがログブックに書いてあれば日記のように鮮明に思い出すかも知れない。きっかけとなるものとして特に視覚に訴えるという意味で、絵を多用している。初めて見た魚の絵を描いておくと、名前も覚えやすい。新しく見た魚の名前だけ書いておいてもあとからログを読んでもどんな魚なんだか分からないはずだ。わざわざまた図鑑を引くの面倒がらずにやれるか?私には面倒に思われる。でも魚の名前も覚えたいから絵を描くのだ。できるだけ多くの時間をかけてダイビングの中身を思い出してログに書いて残しておきたいと思っている。


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あなたは一人で潜りに行きますか?

10/26/98記

 スクーバダイビングでは安全確保のためにバディーシステムを遵守します。という記述は表現もほとんど同じで各ダイビング指導団体のテキストに書かれていることだと思います。当時の記憶をたどると、ひとりでスキンダイビング(当時は素潜りという言葉があったが死語なの?)を楽しんでいたので、スクーバを習った時にバディーシステムが煩わしいものだと感じたことを思い出す。ダイブマスターになれば一人で潜ってもいいのですか、などとインストラクターに質問した事も覚えている。返された答えは忘れてしまったのだが...。一人でタンクをしょってじっくり写真を撮りたかったのだ。そのためにスクーバを始めた筈だった。Cカードを取った後のショップ主催のツアー参加でダイビングのめり込むにつれてバディーシステムは当然の事と考えるようになった。今では一人で行くくらいなら止めようと考える。理由はつまらないからである。言葉のしゃべれない海の中で見てきた感動を話し合える相手がいないなんて淋しすぎる。ウチへ帰っていくらベニイザリウオを見つけた話しをしても、イサキの大群に囲まれた話しをしても、一緒に体験していない家族には所詮感動を伝えることはできない。良くても「それはよかったねえ」で終わりなのだ。

 気の合うバディーがいないというのがダイビングを続けられなくなった理由にあげるペーパーダイバーが多いと聞く。まさしく今、私はこの気持ちが良く理解できる。バディーは探さなければ向こうからは決してやってこないものだ。ショップのツアーに参加して探せるリッチなダイバーはそうすれば良いと思う。この点が以前どこかに書いたショップのメリットの一つであり、お金が高くても自分に合ったバディーが見つかればトントンかも知れない。なかなかそんなバディーに巡り合えるもんじゃない。人間って結構わがままだ。良い関係を維持するのは結構大変だったり疲れたりする。人それぞれの事情ってものもあるのだ。つくづく、バディーシステムは安全確保のためというよりもスクーバダイビングを何倍もそして長く(体力の許す限り)楽しむためにはもっとも本質的な部分に係わる欠くべからざるシステムであると確信している。だから、色々な人と潜ってみるのは楽しい。指導団体が違うとか、習ったインストラクターが違うとか、その人その人の個性とか、色んな違いや常識が常識でなかったり、ショップのツアーに独身時代かなりの部分をつぎ込んで過ごしてきた私は、一つのカラーのスタイルしか知らなかったと気付くことが多い。ちなみに、FDGでこれまで一緒に潜ったダイバーの指導団体にはNAUI、PADI、JP、JUDF、CMASがあった。俺のが入ってないぞーという方は恐れ入りますがこちらまで申し出て下さい。

 いろんな人と潜って、いろんな視点で「今見てきた海」を語り合える機会を大切にしたいと思う。そのためにFDGはある。


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ショップのツアーは楽しくないの?

02/05/99記

 ショップのツアーが楽しいのは:<<西尾式定義です>>

「オレを知らないなんてどこの新参者だあ?」という常連客って必ずいるものです。ここでいう常連とは、ショップにも結構入り浸っているし、ツアーなんかも結構欠かさずに参加する人達のことになります。クリスマスパーティーやら水中運動会やらショップの企画する催しにはほとんど何をおいても参加するような状態。こういう状態の時は楽しいですよ、確かに。結構わがままが聞いてもらえたりもするし。何を隠そう私もこれ式のショップどっぷりダイバーやっていました。

 その頃は、残業、徹夜、出張、休日出勤などの日々で、深く物事を考える余裕が無かったことと、収入のほとんどをダイビングにつぎ込んでも、他に何もする時間が(精神的余裕も)無かったので特に疑問に思わなかったという訳です。しかしながら一旦遠ざかってしまうと、あるいはそんなに頻繁にツアーに参加しないというのも同じことだと思うのですが、上記の如く常連客は勝手に盛り上がっているものの、何かちがうなあという思いが強くなります。要するにスタッフは常連客や初心者の相手をするのに忙しくて、たまに訪れる中級〜上級の客でしかも無口(おっと失礼、物静か)な人は、あまり相手にされません(とまで言うと大袈裟ですが)的なことにならざるを得ません。立場が変われば理解できる対応です。スタッフが悪い訳じゃあありません。そういうものなのだと思います。世代交代なのでしょう。でもこれじゃあ楽しくありません

 以上をまとめると、ショップのツアーは、Cカードを取ってから始めの3年位は楽しいかも知れないが、「色々な理由」で参加する頻度が落ちるともう二度と楽しくならないということになります。こうなるとダイビング自体も行く気がしなくなるので、止めてしまうことになったりします。

 もしここで言う「色々な理由」の中でツアー代金という要素が強いなら、FDGDMLこもちダイバーズ等を利用するのが解決策で、同時にバディーを見つけるまでは行かないにしても、顔なじみのメンバーとダイビングできるという安心感は大きな支えになると思っています。やはり頻度が大事だと考えています、a frequent diverでいたいものです。


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インストラクターになりたいですか?

5/19/99記

 ダイビングを始めた頃って、向上意欲も旺盛で、インストラクターになりたいって考える人は多いと思います。私もそうでした。でも、インストラクターこうあるべしという自分なりのイメージが出来上がるにつれて、より意欲を掻き立てられる人と、そうでない人に分かれてくるのではないでしょうか。機会があったらインストラクターになりたいなんて思っているダイバーは未だインストラクターって何なの?という所が自分なりに未整理なんじゃないかと思います。

 私は、ダイビングを始めてから3年位経って諦めた派です。現在は勿論、インストラクター志向です。なぜなら、インストラクターに求められる要素は、とてもとても多く、深いから、とても生半可な気持ちで目指せるものじゃないことが分かってきたからです。特に、責任というこの重ーい2文字。ここが指導員クラスそれ以下をくっきりと区別していると思います。現地ダイビングサービスによっては、インストラクター割引等と言って、パーティーの中にインストラクターがいると、施設使用料やらタンク代やらを割り引いてくれるシステムがあります。DM以上がいないと潜らせてくれないボートダイビングスポットってのもあります。安く潜るための手段としてだけDMやインストラクターの「資格」をとらえると、それはそれは欲しい資格ということになってしまいますが、その代償が何なのかを考えれば責任という2文字に行き着くことが分かり、軽々しい思考を反省することになります。具体的に補足すると、サービスでは、タンクを貸し出したお客さんが事故に遭い、そこのリーダーがインストラクターだとすると彼or彼女に事故の責任全てがあったように事故を処理できることになります。ところが、インストラクターがいなかった場合、当然アマチュアの集まりで潜るってことですから、そういう人達にタンクを貸したサービス側にも責任の一端が及ぶ、という解釈をすれば、この料金割引制度は保険料的に一般利用者には課せられているのだなあと理解できます。話しが逸れたので戻します。

 バディーの集まりであるパーティーのリーダーをインストラクターがやる場合と、非インストラクターがやる場合には責任という抽象的表現がいったいどのような差になって現れると思いますか?私の捕らえかたでは、オープンウォーターで習ったような基礎中の基礎を如何に忠実に守り(守らせ)実行する(させる)かという点に尽きると思います。私もFDGでパーティーのリーダーとなるときには、気を付けてはいるのですが「忠実に守って実行する/させる」ということの難しさを感じるが故に、本気でリーダーとして徹底してやる積もりなら自分がダイビングを楽しむ余裕なんて無くなるんだろうなって想像してしまいます。

「忠実に守って実行する/させる」っていうのは結構難しいのです。

 インストラクターは流石です。そういう訓練を受けています。日頃からそういう心構えで海と付き合っています。自覚が違います。アマチュアにありがちなパターンとしては、何時しかリスク管理がおろそかになってしまう様な傾向と言えるのではないでしょうか。基本的な事をないがしろにするってことは危険を伴うという当然誰にでも理解できるはずの方程式が、少し位...とか、なんとかなるだろうとか、あやふやな言い訳でもって狂ってしまうのです。そもそもこういう非インストラクター的行動の原因は、アマチュアは常に客の側の立場からの視点からダイビングをとらえているためだ、ということに気付いたのです。ダイビングというレジャー産業において、サービスを受ける側の論理としては、趣味ですから、仕事じゃないですから、いくらリーダーという立場を取っても、基本的に楽しみたいことを優先しているような心理状態であり、リスク管理を怠ると、とっても恐ろしいことになるという事が、頭で分かっている積もりでも身体に染み付いていないことがプロ/アマの一線を画する最大原因ではないでしょうか。我々アマチュアは、色々な書物(ダイビングに限らない)、経験、訓練、事故報告等を通しても、所詮、客側の目で受け止めてしまうので、サービス提供者(指導員級=プロ)が同じ情報から受けとめるであろう指導員にとってありがたい教訓の何分の一しか伝わってこないことになってしまいます(勿論、この場合は当然受け手の問題です)。とすると、アマチュアとプロの責任に関する捕らえかたは、どんどん差が広がるばかりだという推論に行き着きます。だから、安全とかに関してシロウトが偉そうなことを言ってもプロが言う言葉の重みには到底太刀打ちできない、と、こうなる訳です。

 それなりの訓練とその結果行き着く指導者としての自覚。アマチュアにはこれが決定的に欠けていると、私は考えます。私の場合、訓練を受けることよりも目先の楽しみ(ファンダイブ、水中写真)に重きを置いてきたため現在の私のスタイルになっているのです。でも、だからと言って、インストラクターを目指さないと言って責任逃れをしたいと言ってるのじゃあないです。リーダーたるもの、やはりアマではあっても指導者のハシクレになることもあるのですから、皆で楽しく(=悲しい目に絶対に遭わないように)潜れるように向上心を持って今後も活動をしたいと思う気持ちを反省と共に再確認した今日この頃です。そのためにできることからマイペースでやって行こうということで、こういう文章を書き、皆さんのご批判なり、ご意見なりを聞いてみたいと思っているのです。

PS:肩書きが無いから、好き勝手なこと言えるし、楽しいインストラクター批判ができるというものです。あの人ったらイントラのくせに...の類。



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初級・中級・上級の違いって何?

06/05/99記

 どうです、ちゃんと答えられるでしょうか?初級はいいとして、どこから中級か、はたまたどういうことができれば上級かという定義にはお目にかかったことがございません。どこかに定義してあれば教えて下さい。

 私なりの解釈を書いてみましょう。アドバンスを取った辺りのダイバーを中級と呼ぶのを何度か見たことがあります。初級は始めたばっかりで、自分では思うようにいかないレベル。だからそれと区別して呼ぶなら、自分の事は何とか自分でできるようになったレベルが中級なのかなと思います。今まで18m以深はダメだったのが40mまでOKになったとか、ナイトダイビングが出来るようになったとか、を中級の根拠にするという考えも某指導団体ではあるようです。

 中級との区別で上級があるなら、上級は指導員級しかないでしょう。即ち、海で人の面倒が見れること、と私は定義の中身を考えてみました。いかがなものでしょうか。重い響きだと思います。

 私はどうかって、そりゃあ当然中級だと思いますよ。気持ち的には上級目指していても、なかなか道は遠いものです。しかし、中級は中級の楽しみ方があるし、皆んな上級(Cカード、あるいは認定レベルという意味での)を目指す必要も無いのだと思っています。だから、単純な意味でのランク付けって難しいと思います。タンク本数で推し量れないのは当然だし、同じ指導団体の同じランクのCカードを持っていても、カード取得後の経験だとかダイビングに対する取り組み方がその人のスタイルとして異なった形で定着して長い時間が経過したりすると相当な違いを生じると思います。だから例えば「ダイブマスターなりたて」が上級かどうかを議論するのは個人個人で違っていいんじゃないでしょうか?でもそもそも、何のために初級、中級、上級なんて区別したがるのでしょうかね?指導団体なりスクールが皆にステップアップを奨励したいためなんでしょうかね。向上心を持って技術を磨くとかは良いことだと思いますが、適性が無いかも知れない人に対してやたら高いランクの受講を勧める商売のやり方にはやりすぎなんじゃない?って思ってしまいます。逆もシャイな人には困るんだけど。


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安全標語から脱線してレスキューダイバーの考察

6/15/99記

 「自分の身は自分で守る」という言葉が好きです。バディーやインストラクターがいつも助けてくれるとは限らないから、自分で危険を回避しようという意味と、私がナビをやる時に皆を助けてあげられる自信がないから、皆んな自分のことは自分で守ってね、という2つの意味を込めております。レスキューのカード持っているからと言って、昨日までレスキュー出来なかった人がカードの発行と共に出来るようになるはずないですよね。また、誰かさんのように13年前のカードでは知識も怪しい?!(潜水医学の日新月歩を考えると、内容も大幅に改訂されているし、余り正確に記憶してない方がいいのかも知れない。だって、改訂されたやり方の方がより効果的なfirst aidだったら、古いのをしっかり覚えていてそのやり方を貫こうとすることは良くない恐れがある)

 本当はショップなりスクールの意のままにLife Saver (NAUI)とかMedic First Aid (PADI)とかの2年に1度の更新の講習を受け続けるのが良いのでしょうがその度にカード代(申請料)取られるのは困りもの。せめて車検の様にカードにシールを貼るようにでもして欲しいものです。でも認定しっ放しのレスキューよりまだましと言える。レスキューの更新って無いですよね。アドバンスも無いけど。DO SE DOで曳行するのって10年以上経って何%のカード保持者が出来るのでしょうか、はなはだ疑問です。小学生の時に取ったアマチュア無線の資格と言うのとは本質的に意味が違うはずなんですけどね。



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