99/08/06「ソウルへ」

さてさて,この日は朝早めに旅館を出発,まずは荷物を駅にてロッカーに預けてしまう。が,持っていったカバンが大きすぎロッカーに入らず・・・それで結局駅の売店に預けてしまった。というのも,このキョンジュ駅のロッカー,コインロッカーではなくて,錠前つきロッカー,鍵は売店で管理という代物だったため。友人連はロッカーに入るサイズのカバンだったので問題なしだったもよう。

ハンジン旅館のおじさんの話があまりでなかったけど,いや,この人のちょっと不思議な(それでも十分流暢)日本語のために,2回目の旅行で,僕と同行者の先輩T氏,同期T君とは韓国にはめられたといっても過言ではない。やや年配の方の日本語,客商売とは言えども「〜しなさい」という命令形を随分と耳にする。実はこれ,なんのことはない「〜シプシオ/〜セヨ」という丁寧な命令形の,直訳的日本語なのだ。それでも,我々の間では「あなた,このカバン持ちなさい」とか,とにかく覚えたばかりの韓国語的日本語でその後1年くらいははまっていたように思う。最近は,インターネットにも色々興味をお持ちのようで,ホームページまであるのにはちょっとびっくり。URLは今はちょっと忘れちゃったが,興味のある人は,アメリカのサイトなどが引ける検索エンジンで HANJIN HOSTEL, Kyungju などと引いてやればわりと楽に見つかるのではないかと思う。

このおじさんの長男の方が,なんとKBSのPD(プロデューサー)だそうで,その奥さん,えーと,名前忘れちゃったけど,実は歌手のキム・なんとかさんなんですって。HPに書いてあってちょっとびっくり。(名前は少なくとも聞いた事あったもんで・・・)


ちなみにこれがハンジンヨグヮンの主人,権(クォン)さん。(New on 2000/04/17)

それはさておき,かなり早めに活動開始したので,十分に市街地観光する時間はあった。駅を出て10時くらい・・・だったかなぁ。まずは駅のそばで朝食。中華。友人連はチャンポンと餃子を注文,僕はなに食ったんだっけか。(いかん,忘れてる)

古墳公園などを散歩,適当なタイミングで駅前の方に戻る。セマウル号は5時頃出発の便。指定席だったので完全な余裕しゃくしゃくであるのだ。はっはっは。

あ,書き忘れてたけど・・・到着の日,時計が壊れて非常に不便だったので,現地で45000ウォン程度でデジタル時計を購入していたっけ。

3時過ぎくらいに,この日2回目の食事を繁華街で取る。このときは・・・やはり3人同じという状態ではなかったけど,Sが一人で汁物,Hと僕は二人でブデッチゲを注文する。プデッチゲというのは,実はソウルで出来た,すごくキッチュなチゲで,ウィンナーとかインスタントラーメン,ハムなどを煮込んだチゲで,ちょっとかわりものだが,そのいーかげんさが良くって,たまに食べたくなる一品。

他には何したっけなぁ・・・午前中に喫茶店に入った気がする。カフェではなく,タバンの方に。というのも・・・キョンジュについてから,ちょっと不思議な光景を見ていたのを,確認するために。

不思議な光景というのは,ソウルやプサンではあまり目にしない,スクーターで狭い路地を疾走するアガシの姿なのである。なんどか見ているうちに,大体足元にお盆が載っているのに気づいた。

『うーむ,なんだ,これ?出前か?』

食べ物の出前にしてはお盆には小さなふくらみしかなく,たどり着いた結論は『ひょっとして,これはタバンのアガシじゃないの?』ということ。

定本ディープコリアでは,ナムウォンで,コーヒーの出前を取った在郷軍人氏が,配達に来たおねえちゃんを触り放題にしているエピソードが紹介されていたと思うが,どうやらあのアガシ達である模様なのである。ソウルやプサンではもうあまり見かけない光景に思えるけど・・・
そこで30分ほど雨宿りしているうちにアガシが一人(といっても,ちょっとアジュンマに近かったけど)戻ってきた。「今度は?」「○×で,コーヒー3つ」ってな感じの早口の会話,店を飛び出してまたスクーターの音が聞こえる。どうやらあたりだったらしい。見かけたら流しどり,とか思ってたんだけど,ついに撮影できず・・・今度の機会には必ず。


写真は駅前の大通り脇でまっぴるまから将棋に興じる近所のおじさんたち。

セマウル号の出発の時刻が近づき,駅で荷物を引きとってぼーっとしていると,いや,来るわ来るわ,ポンニチ的同胞の面々。実際,ここではソウルのミョンドンあたりにいるよりもそれぞれの観光地で日本人を見ることが多いのだが,これについては今回の後半でまとめて考察することにする(?)

セマウル号に乗込むと,これまたあまりすることはないんだが・・・途中車内販売でビールやコーヒーを飲みつつ,あたりは夕焼けに。これがちょうど川のそばできれいだったので,フィルムを消化すべく,僕は1本程度乱写する。下はそんな中の一こま。

セマウル号は途中一箇所で,洪水の影響で線路が危ういところを最徐行で通過,その他は問題なく定刻にソウルに到着。これが午後8時59分。宿は,ソウルを出るときに同じメトロを予約してあったので,迷うことなくタクシーでメトロに向かう。

部屋に入り,荷物を置いてちょっと遅い夕食へ。この日は百済参鶏湯で,ウゴルサムゲタン(黒地鶏サムゲタン)を食す。食べ終わって大体10時過ぎくらいだったか。

その後,タクシーで南山の上に夜景見物。当然三脚も持参。行きは模範タクシーで非常に安かった。11時頃到着し,三脚をくみ上げて2枚ほど撮影したところで・・・なんと
「もう締めますから出てください」
という係員の声。げげー,2枚しかとってないじゃんかよー,と思いつつ,それぞれ30秒露光してとったうちの片方が下の写真。

で,トラブルは,帰り道で起きたのだった。11:30に締め出された後,2,30分くらいそこで粘っていたが,とりあえず下山を考える。が,タクシーがない。まだ比較的早かったので,東大門あたりに買い物客を眺めに行こうと言っていたのだが,居たタクシーは,いわゆる,ボるタクシーで,一人分の料金として,来るときにのった模範タクシー並みの料金を請求,しかも3人ばらばらという。これなんだよなぁ,韓国で頭に来る瞬間。歩いても良かったかもしれないが,時間短縮にはなるのでとりあえず使ってしまう。が,これを読んだ皆さんは,模範タクシーなどで行って,追加料金を払っても良いから,運転手さんに待っていてもらうことをすすめる。

結局,運ちゃんが「ミョンドンしか行かない」ととんでもないことをのたまったおかげで,東大門へは行かず。宿でまた酒を飲むという晩であった。

最終日は飛行機が昼頃であるため,実質7日が最終日となる。どこを回るか考えつつ酒浸りの夜は続くのであった。



さてさて,以下はキョンジュでの光景。日本人は大体ガイドさんを連れていがちである。
(一応,お客さんの目はぼかしておきましょうか・・・肖像権とかもあるし。)


ちなみに,名誉のため書いておくけど,これらの人達もふつー観光しているだけでやばいことをしているわけではないのである。これらのガイドさんには,多分半日で幾ら,とかそういう料金で雇えるようになっているはず。

問題(?)なのは,こういう制服を着ていない,自称ボランティアのガイド。最近は減ったのかもしれないけど,観光名所入口あたりで,親しげに日本語で近づいてくる普通の人達。中には本当に日本語を勉強してたり,観光学科にいるので実地のつもりでやっている人もいるかもしれない。が,ある程度の割合で,この中には,みやげ物やと結びついている人が居るのでご注意。最後にはボランティアと言っておきながらみやげ物やにつれていかれて,申し訳無いので何かかったらベラボーに高かったとか,そういうことがあるそう。

買う義務は無いので、無視しても良いが,最後に良心が咎めるという人は,最初から,「土産は買いませんよ」といっておくのもひとつの手である。
 

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