[1998/12/11]

現地で、コンサートの頃、日本への出国直前「グッバイ」インタビュー

韓国語のカンスージーファンのWWW掲示板を見たら、現地での「グッバイ」インタビューの書き取りが出てました。
内容的には、日本での活動・生活、恋人関係など。特に活動については、「2000年まで、韓国には戻ってこない!」という発言も・・・(当HPの管理人翻訳)


しなやか声な声に清純なスマイルで日本でも大きな人気を博しているカンスージーが、ちょっとの間、故国への「おでかけ」を終え、「グッバイインタビュー」を行った。
日本での活動中に、韓国で発売された9枚目のアルバム「Wish」の広報の為のライブコンサートを締めくくる前に、ちょっとだけ時間を作ってくれた彼女は、日本での活動と恋人に対する率直かつ淡々とした話を打ち明けた。
日本の有名エージェンシー「スカイプランニング」所属の彼女は日本で確実な足がかりを固めるため、2000年まで韓国に戻ってこない事を示唆した。

Q:韓国と日本を往復してとても苦労が多いだろう、無理しているのでは?
A:一週間に2回以上行き来して、辛かったのは事実。ご覧の通りの(笑み)虚弱体質なのか、いつもリンゲル注射を打っていた。

Q:日本での活動について説明を。
A:「ろみひー」と「メレンゲの気持ち」などで、二つ、MCを担当している。ろみひーではコメディアンのひろみ、タレントの飯島愛と司会進行を担当していて、この番組で顔が知られはじめた。メレンゲの気持ちの方は、人気タレント久本雅美と一緒に番組をすすめる有名人を呼んで、料理を作りつつトークをしていく番組で、毎週土曜の昼12時から放送中。
活動の間、2枚のシングルを出して、そのうちの一方「記念日の食卓」はシャンプーのCMソングとして使われている。
あ、それから、銀河鉄道999は55回で終演した。その時は本当につらくて、円形脱毛症にまでなったくらい。
[訳者:あれ?メレンゲもレギュラーですか???]

Q:これくらいの活動は、成功だと言える程度なのか?
A:まだ、たいした人気はない(笑)
ただ、たくさんの人が街で見掛けて顔がわかる程度で、日本の芸能人も親近感を見せてくれている。日本では、歌よりも顔を売る方が重要。それで、ショー番組にたくさん出演している。
自分には、いろんなハンディキャップがある。年も取っているし、日本ではバラードが別に人気がない、等。でも、私は絶対に成功したい。それで、日本では韓国ではやらなかった事をたくさんやっている。韓国でこそデビュー9年目の中堅歌手だが、日本ではまったくの新人歌手。それでお笑い番組にも出演してハゲヅラまでかぶったりしている。韓国の私のファンの方々も日本の番組をみて「カンスージーは、日本ではなんでこんな風なの?」と心配しないで、裸にならない以上は、したくはないけど仕方なくやっているとでも・・・考えておいてくれる事をお願いしたい。

Q:日本語は上達したのか?
A:今は通訳が要らないくらい。でも、(話す時に)単語を良く間違える。

Q:香港映画に出演するという噂があったが、また演技をする計画は?
A:撮影監督のクリストファー・ドイルの紹介で、ワンカウィ監督の映画に出る為に香港入りし、リハーサルまでやったことがあった。でも、映画でのキャラクターが、罵りも一杯あるし、ワイルドなイメージだったので、心配になりはじめた。それで撮影の前になって辞意を出した。
これからも、良い作品さえあれば、演技をまたしてみたいと思う。

Q:カンスージーは、もう、9枚目まで出した中堅歌手だ。長い間、変わらぬ「愛」を受けている理由についての考え?
A:えーと・・・自分が直接歌詞を書いている事が、大きな助けになっているようだ。自身の気持ちを込めて、率直な歌詞を書いているのでファンから良い反応をもらっている様だ。

Q:ボーイフレンドはいるのか?もう、結婚していい年ではないか?
A:9年間でもちろんボーイフレンドは居た。初めにデビューした頃、私が作詞した「ボラピッヒャンギ」「シガンソゲヒャンギ」は最初のボーイフレンドの為の歌だった。皆が連想する歌手Sではない。Sとは、皆が考えるのよりもずっと短い期間しかあわずに別れた。私たちをいじめるマスコミが憎らしくて、すぐに離婚をするとしても結婚するか・・・とも考えていたこともある。Sは2度と再び考えたくない人物。最初のボーイフレンドを忘れられず、5枚目の中で「アルムダウン ノエゲ」を作りもした。
その後もボーイフレンドが居た。でも、日本に行きつつあるころ別れた。おそらく、日本に行かなかったとしたら別れていなかっただろう。
芸能活動を長くやり、終えた後で、結婚したい。

Q:日本文化開放が本格的になって来ている。日本と韓国の芸能界の違う点は?
A:挨拶をたくさんしなきゃならないなど、どうしても文化的には違いがある。でも、もう、他所の国の様ではなく、親しく感じられる。
日本(音楽)市場は、韓国とくらべて、大変大きく、ジャンルも多様だ。アンダーグラウンド音楽[訳注:テレビにでない活動というか、そのあたり]も活発で、やりたい音楽がやれる国。
いままで、私は日本ではシングル2枚を出しただけで、アルバムはない。なので早く顔を覚えてもらった後、アルバムを出してライブ公演をしたい。(韓国の)ファンの皆は、なぜ日本語で歌を歌うのかとなじるが、日本の人たちと、より近くなるためには仕方がないことなので、理解してくれるようお願いしたい。

Q:今後の計画があれば?
A:クリスマスはニューヨークで家族と過ごすだろう。
その後、日本に戻って、2000年までは、韓国には戻らない予定だ。日本で活動している間、良いチャンスが何回もあったのに、韓国でも活動を並行させていて、(その話を引き受ける事が)できなかった。これからは、より確実なポジションを得る時まで、日本での活動に重点を置くつもり。
2000年頃、良い姿で(元気に)戻ってくるだろう。期待して。
(日本でもCF出演するかもしれないという話もあったそうな・・・・)

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