それに近い経験をカン・スージーでもしたことがあります。一つは、今のシングル「記念日の食卓」が使われているウテナのコマーシャル。これは名前を見て我が目をちょっと疑ったけど・・・有線系で攻めてるのかな?
で、もう一つの方は5年くらい前にさかのぼる。
当時の僕は、アメリカの某S大学に会社から派遣してもらっていたのだが、生活にリズムをつけるべく、毎日ある語学の授業を聴講させてもらったのである。それが韓国語で、後にも先にも、韓国語の唯一のformal educationということになる。
さすがに日本で2年以上勉強していたおかげで、初級は楽々クリア。3年の授業はついていけるかどうか不明だった(多分、今から考えるとついていけたと思うが)ので、2年の授業を聞かせてもらう。S大では、アジア系の言語では中国語と日本語が人気を二分していた。中国語に関しては、エリアに中国系の人が多かったからなのか?日本語はビジネスのせいなのだろう。韓国語はというと、これが1クラスできるかどうかという弱小クラス。確か20人ほどのクラスで、そのほとんどが2世の子。ひどいのになると、中学から親が進学のためにアメリカに送ってきた子で、ネイティブスピーカーという子も居た。(実際、彼が語学として勉強する必要はなかったのだが、留年に留年を重ね、単位のために母国語を授業として選択したらしい。)まったく韓国の血が入っていなかったのは白人のJonathanと僕(シバタッシと呼ばれていた)のみ。
もう一人、Youngerと名乗っていた、1世の面白い奴(こいつはキムゴンモの曲の英語ラップ部の詩を書いたそうだが、クレジットがないといってぼやいていた)が居たのだが彼は小学校からアメリカにいて、漢字とか、口語じゃない部分を勉強したくて取っていた。この二人を除けば、日本人の僕はテストなどでは非常に有利な位置にいて、まぁ聴講だから試験を受ける必要もないんだけど、ちょっとだけほのかな優越感にひたったっけ。
どこがカンスージーなのかというと、話はこれからなのである。
韓国では、帰国子女やら外国人就労者などに韓国語を教えている機関がいくつかある。なかでも有名なのは延世大学(ヨンセ)の語学堂だったと記憶している。ここの教科書が定評があり、延世以外の場所でも随分とこの教科書を使って授業しているところが韓国内外に多かったそうである。
僕が韓国語を勉強しはじめた90年〜91年というのは・・・89年(確か89年)に、新しいハングルの綴り方が定められた直後で、教科書のたぐいも、それに見合うように改訂しつつある状況だったのだろうと思う。(変更点は・・・日本語にたとえると「今日」を「けふ」から「きょう」に変える位)それで、そのS大のチョウ・ヨンミ先生は、発刊が91年と新しい高麗大学(コリョ)の語学教育部門発行のテキストを使っていた。
91年である。そう、現行を準備しているのは90年な訳で。90年といえば!カンスージーのデビューの年ではないですか。
教科書を購入して、ぱらぱらとめくっていたある日のこと、あるレッスンのテキストに目がくぎ付けになってしまった。別に、彼女の写真が載っているわけではないんだけど、そこには、芸能新聞の記者がカンスージーに電話をかけてインタビューするというスキット。なぜか微笑ましい。きっと講座の先生方も色々考えて、おそらく数年は有名でありつづけるであろうカンスージーを難しい顔で選んだに違いない。なんたって、当時はチャートの1位2位に絶対にあがる歌手だった訳で。
そのレッスンを学習する当日が来た。だからといってなんでもないのだけど、思わず顔が緩んでしまう。うれしいわけじゃないんだけど、なんだか照れくさい・・・なんででしょ?
その後、カンスージーってだれ?という話になり、クラスの半分以上は彼女を知っていたが、残りはしらなかった。93年といえばもうソテジ大ブームの頃であったが、かろうじて僕の他にもファンは居てよかった・・・がその後私は「いつもなんでもカンスージーだねぇ」と揶揄されることになったのであった・・・
それだけなんだが、もし、このページを見て、奇特にも、韓国語を勉強してみよう、と思った方は、ハングルが読めるようになったら、どこかで高麗大学版の91年の教科書(確か、会話の「2」だったと思う)で彼女の名前を探して見てください。
それにしても、あの時同じクラスだった子らは、今、どこでなにしてるんだろう?